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見えるところに居る

夫婦で新型コロナのニュースについて話していたとき、息子(3歳)が言った。

「そういうはなし、こわいからやだな。ラグビーのはなししようよ」

今では「ころなういるす」「かんせんかくだい」なんて言葉も覚えてしまったが、たとえ意味が分からなくても、というか、よくわからないからこそ、不安は強く感じるのだろう。それは大人も同じである。

息子にとっての「ラグビーの話」のような、大好きなこと、大好きな遊び、それらがいつも以上に大切になっている。

おとな側も、感染症も経済的にも不安だから、子どもに不安が伝染してしまう。それを無理に隠すのも難しいけれど、「子どもにはわからないから」と、子どもの不安へのケアをなおざりにしても良くない。

今の世の中は、いつも以上に「家族」のあり方が子どもの状況を大きく左右するようになってしまっている。家族以外の大人に出会うことが制限されているからだ。

周りに信頼できる大人がいない子ども、家庭が安心できる場になっていない子どももいる。ネットでいくら発信したって届かない人が、たくさんいる。

普段はカフェで原稿を書いたり文献を読んだりするのだけど、最近は庭先に机と椅子を出して仕事をするようにしている。
単に気分転換のためだったりするけれど、もしかしたら、通りすがりの誰かに「見えるところにいる」ということ自体に、何らかの意味があるかもしれない。
私自身、道を通り過ぎる人の姿に、そこで他愛もない言葉を交わしたりすることに、ちょっとほっとする。

以前のように近所の子どもたちとふれあって遊んだりはできないので、ただ、見えるところに居るだけ。
気休めかもしれないけれど、物理的には距離を保ちながらも、見えるところに人が居るという意味は少しはあるのだろう。

こうもりあそびばは自己資金で平日の夕方に毎日開けていましたが、子育てが中心になってきて、現在はほぼ休止状態。今後のサポートは、執筆活動の諸費用(取材の費用、冊子『小さな脱線』の制作など)に充てます。少額でも非常にうれしく、助かります。