原点のようなもの
一人でぼんやりしていたら、涙がこぼれそうになる。
うちの所長(2歳児)がテンション高いので、なかなかその隙はないけれど。
私が曲がりなりにも物書きという仕事をし始めたのは、さくらももこさんによる影響が大きい。
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漫画家になりたかった子どものころ。
『ちびまる子ちゃん』のコミックスのおまけのページに「びんぼうこびとのこと」というエッセイがあった。「びんぼうこびと」という絵本の思い出について書いたものだった。
それを読んだあと、うちには今も「びんぼうこびと」の絵本があると気づき、迷惑だとかはまったく考えずに、家族に頼んで手伝ってもらいながら、さくらさんに「びんぼうこびと」の絵本を送った。
「サインください」などと書いた不躾な手紙とともに。
それからしばらく経った後、新刊のおまけのページに「びんぼうこびと送ってくださった方、ありがとうございます」という一文があった。とてもうれしかった。
思えばそのとき、こうした出版物が自分と無縁の遠い世界で作られているわけじゃないんだと、心に刻まれたのかもしれない。
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その後私は、大学、大学院へと進んだ。
本を作る仕事、文章を書く仕事をやりたかった。けれど、自分にすぐできることじゃないと思っていた。「大学教授」みたいな肩書きがないと私には無理だと思っていた。
ガラケー時代、登録していたさくらももこ公式携帯サイト。
Q&Aコーナーなど、さくらさんと直接コミュニケーションがとれるところがあって、悩み相談的なことも投稿していたが、そのなかでも『神のちからっ子新聞』をモチーフにした「神のちからっ子通信」というコーナーがとても好きだった。
サイト内に「ちからっ子俳句」という、特に季語などの規定もなく、単におもしろいと思うことを5・7・5で投稿するコーナーがあった。
私は毎日のように、ここに投稿した。
たまに「今月の優秀作品」みたいなのに選ばれると、三好一句という架空の俳人から「辛口コメント」がもらえるのが楽しかった。
さくらさんにおもしろいと思ってもらえるなら、自分の文章も悪くないのかもと思えた。というか、単純に、うれしいし、楽しいと思えた。
どうせなら、楽しいと思えることをやりたい。
いろいろと自信を失っていた時期でもあり、そのころ、私は大学院をやめた。
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ちなみに、投稿した「ちからっ子俳句」の一部を紹介すると、こんな感じ。
福岡で幸か不幸かふくよかに
靴べらはベラっとしてて愉快だね
綿棒か耳かきなのかは秘密主義
なんとなく切手を集めた3日間
秋深しお芋をふかし俺たかし
北極の凍える寒さ 南風
そのTシャツ後ろ前だし裏返し
いつもなら見向きもしない普通の木
ちくわぶの存在理由を否定され
ホラあそこ やる気ないのがカズオだよ
うーん…。
今の仕事に「ちからっ子俳句」的な能力を生かせているかというと、微妙だな…。
ただ、さくらももこさんのことを考えると、自分の原点もふりかえれるような気がする。
最近の私はちょっと停滞期。
『ももこのいきもの図鑑』を久しぶりに本棚から取り出した。
生物の専門家には書けないであろう、魅力のあるエッセイ。
大学教員への道を選ばなかった私だから書けるもののヒントがありそうな気がする。
ありがとう、さくらももこさん。
これからも、お世話になります。
サポートは、執筆活動の諸費用(取材の費用、冊子『小さな脱線』の制作など)に充てます。少額でも非常にうれしく、助かります。