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楽しくなければ「学び」じゃない【まいまい京都の目指すもの⑧】

「知る」から「学び」が始まる

前回の記事で、まち歩きツアーを通じて「知の民主化」をしていきたいと書いた。では、具体的にどのようにして「知の民主化」を進めているのか、まとめてみたい。

まいまいの企画会議でよく話題にのぼることがある。それは、「そのツアーに参加することで、参加者さんがこれまで知らなかった世界に出会えるかどうか」という点だ。まいまいツアーは、未知の世界に触れる驚きを味わえる。

ツアーに参加すると、「いま歩いたこの道、じつは暗渠で」とか、これまで知らなかったような知識に出会う。ガイドさんの熱量をあびて、さらなる知的好奇心が動き出す。

「ということは、近所のあの道もひょっとして…?」「暗渠はなぜ生まれるのだろう。その社会的背景は」と、知りたいことがどんどん増える。ある人は地図が見たくなるかもしれないし、歴史を調べたくなるかもしれないし、土木方面に関心が向く人もいるだろう。
「知る」ことで「学び」が始まるのだ。未知に出会うまいまいツアーは、じつは深い「学び」の入口にもなっている。

一回完結という真剣勝負

学びの場というと、学校や習い事のレッスンなどが思い浮かぶ。これらは継続することが前提だ。けれど、まいまいのツアーは、一回完結。どの回に行っても楽しめるという気楽さがある。気軽に、さまざまな「学び」の入口に立てるのである。

参加者にはとっつきやすい「一回完結」だが、運営側には緊張感がある。というのも、半年や通年のカリキュラムを連続受講することが前提となっている大学やカルチャーセンターとは違い、参加者さんが毎回来てくれる保証がまったくないからだ。

毎回のツアーを定員に満たすためには、一回一回のツアーを面白く充実させることが不可欠だ。まいまいでは、それぞれのツアーがどうだったか、シビアな判断にさらされる。面白くなければ、選ばれない。

各回のツアー終了後には、参加者のアンケートを取っている。NPSという顧客満足度を測る手法で、参加者の満足度を数値化しているのだ。さらに、参加者に良かった点や気になった点を尋ねている。参加者のフィードバックを受けて、毎回さらに楽しいツアーにブラッシュアップしている。一回一回が真剣勝負なのだ。

「学ぶ」と「楽しさ」を両立させる

日本では「学び」と「楽しさ」が分断されがちだった。学びの場では、「その学びは役に立つかどうか」という目的思考で判断され、役に立つものは、「役に立つのだから、面白いかどうかは関係なく、我慢して学ぶべし」という根性論がはばをきかせてきた。きっと、「この大学に合格するために」とか「この資格を取るために」という目的が設定されると、それまでの学習プロセスはたんなる手段であり、なるべくコストを払いたくないものになってしまうのだろう。

でも、まいまいツアーは「役に立つ」という大義名分は掲げていない。ただただ「楽しさ」がウリだ。「これ面白そう!」と思って、ツアーに参加してみると、不思議と好奇心が刺激されて、予期していなかった「学び」が始まる。そこが愉快なのだ。まいまいツアーは、「楽しい学びの場」なのである。

孔子曰く「オタク最強」

『論語』を読めば、孔子も言っている。

子曰く、「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。」

訳してみれば、何かを知っているだけの人は、好きでいる人に敵わない、何かを好きな人も楽しんでいる人には敵わないということ。これを読んで、「オタク」を想像した。オタクたちは、総じて学ぶ力が強い。「推し」を極めて、さまざまな行動変容を起こす。孔子はオタク力を認識していたのかもしれない。楽しむということが、学びにおいて何よりも大事なのである。

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