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もっと「知の民主化」を【まいまい京都の目指すもの⑦】

日本人は学ばない?

びっくりするニュースを見た。社会人の勉強時間が「平均1日13分」だという調査結果だ。これは総務省が2022年に実施した「社会生活基本調査」によるもの。この報告を受け、「日本人が勉強するのは大学までで、働きだしてからは勉強しないのだ」と結論づけていた記事も見たが、私は異なる仮説をもっている。それは、日本人が「勉強」や「学習」だと考えている範囲がきわめて狭いのでは、ということだ。

この調査の設問はこうだ。「仕事・学業として行うものを除き、知識・教養を高めるため仕事に役立てる(技術・資格取得を含む)ことなどを目的としたもの」を年間何日くらいやっているか選ばせるもの。選択肢は、「英語」「英語以外の外国語」「パソコンなどの情報処理」「商業実務・ビジネス関係」「介護関係」「家政・家事」「人文・社会・自然科学」「芸術・文化」「その他」。

この設問を見て、モヤッとした。「仕事に役立てることなどを目的としたもの」ってなんだろうか。「人生を楽しむこと」が目的であれば、わからなくはない。「学習」の目的が極めて狭いのが気になる。

生きることは「学び」の連続

私は、「学び」とは机に向かっておこなうものだけではないと考える。新しいことを知って、自分の行動に変化が起こること。それこそが本来の「学び」だ。

たとえば、コーヒー好きが高じて器に興味をもって、今では土を練ってロクロをまわしている、とか、『刀剣乱舞』にハマって、遠方から京都の粟田神社に出向いたり、日本刀を見に全国の美術館をめぐりだしたりするなんて、いい「学び」だ。

逆に言えば、学校の授業を受けていても、たんに先生の話を聞き流しているだけで、自分のなかに「これが気になるな」「これを探ってみよう」といった変化が生まれなかったら、それは「学び」といえるだろうか。

身のまわりにあるものでも、なんにでも興味をもって、その起源やなりたちなどを調べてみると、かならず発見がある。好奇心が動くと、行動も変わってくる。言ってしまえば、日々生きることは「学び」の連続だ。

もっと、知の民主化を!

「学び」は学校や仕事の場だけに閉じたものではない。私はかねがねそう思ってきた。まいまい京都では、たとえば大学の先生や職人、専門家にガイドをお願いすることがある。専門的な知だからといって、その分野に閉じるのはもったいない。知を、もっと「民主化」していきたい。壮大な言い方だが、そんなことを考えてまち歩きツアーを企画している。

次の記事では、どのように「知の民主化」を進めていこうとしているのか、具体的な方法をまじえて紹介する。

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