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自分というひと21

私は怖がっている。

現実を見つめ、認めるのが。

あんなに大きなことを言っているくせに、結局は意気地なし。理想主義者を語って実際には現実主義者。気にしないと言っているのに、気にする、職歴や評価、歳や性別。それはこの社会で生きて、仕事をするには不可欠な基準であるのは事実なのだ。それを打ち破る、天才的な才能や発想はないし流れに乗るような勇気しか持ち合わせていないと認めるのが嫌で、きっと自分を奮い立たせたり正当化させたりして文章を書いているんだと思う。

気付いているのに、気付かないふりをしていい言葉を並べて、実行しているような錯覚を起こして満足しているだけの意気地なし。そんな人になりたくないと思っているのになっていることにも気付かないほど、書けば書くほど酔いしれる気がしてくる。

その上、おそらく今日の面接はうまくいったのに将来像が全く見えなくなってしまう始末。

私がやりたかったことは、前職。休むきっかけになってしまった、某ブランドの商品企画。満足するまでやりきったら結婚して子供ができたらいいななんて浮かれたことを思っていた。その夢が自分の非力さでシャットアウトされてしまい、路頭に迷ってしまった。

なんてこった。

私は今しかできないことをしたい、今だからできる準備をしたい、今だからできるキャリアを重ねたい、そんな発想が浮かんで生き急いでいるようだ。焦って仕方がない。時間は皆んなに平等なのに、私だけ早回しで時間が進んでいるような気がして落ち着かないのだ。

きっと満たされすぎたんだ。甘えて育って、多くの人から親切をもらって、欲張りになり過ぎているんだ。物的な問題でなく、心の問題。

一体何が不満なんだろう。自分がわからなくなってきた。

私が望むものはただ、平穏な毎日。

それにしてはやっぱり欲深くなり過ぎている。なぜだろう。確信と決断が欲しい。

今日はもやもやする。明日は会社に行かなきゃいけないのに。

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