自分という人19

頭痛がひどくてアスピリンを飲んで寝たのに、また頭痛で朝起きた。

窓辺で背中を向けて日光浴をしたら少しだけ良くなった。

昨日「シークレットミッション」という韓国映画を観た。北朝鮮のスパイが南に潜伏するというざっくりそんな話。

映画自体はすごく面白かった。

でも、他人の不幸を見て自分が安心するではないけれど、私は、日本は満たされている国だと感じた。私は住む場所も、仕事もあってどんな発言もよしとされ、服装や食べ物聞くもの観るもの全て自由。食料もある、水もある、物も情報も溢れている。そんな当たり前に気付き、幸せすぎて私はなんだか胸がいっぱいになった。当たり前じゃない。先人たちが当たり前にしてくれたんだ。いまの当たり前を目指して。

私は、誰かのために何かができているだろうか。ぬるま湯の平和ボケした中で文句を言っているだけで周りには何かしようとしてきただろうか。誰か一人でも幸せにできているだろうか。

私はちっぽけなことしか出来ない。実際、何をしたって全力でしたって、限界があってそんなもんかと自己満足の世界で満たされずに不完全燃焼な気持ちになるのだろう。でも、前に書いた「僕たちは世界を変えることができない」のように、やらないよりはやったほうがいい。自分の為でも。自分の為にしたことが結果、少しでも誰かのために繋がるなら、余計な解釈とかいらないんじゃないか。

「わたしたちのすることは、大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。でも、その一滴の水があつまって大海となるのです。 /マザーテレサ」

無力だけど、それならそれなりにできることをやろう。まずは近親者を愛することから。鬱の私を支えてくれた全ての人に感謝を込めてお礼を言いたい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?