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自意識

自分がやりたいこととは何だろう。

それは決められた世界の中で、自分が選んだことだけのように思う。それがいつの間にか、自分の本来やりたかったことに置き換えられている。

その心は、そこまでならなれそうというギリギリのイメージがあるからではないだろうか。イメージできないことは、イメージトレーニングもできない。叶うところが想像できないということだ。自分で、もうそこは無理だなって認めている。と、そんな感じらしい。

確かに、イメージできるものには現実味が増す。できるんじゃないかと思う。

でも、小さな頃の夢は何だったっけ?

大人に聞かれて適当に答えていた気がする。将来の夢がないなんて言うとなぜか怒られるからだ。大人が期待した通りの答えを言う、そうやって空気を読む練習をして、だんだんと進路希望という現実的な型にはめ込まれていく。だって、希望高校は?って聞かれるだけで、高校以外の選択肢を教えてくれない。日本という幸せな国は、日本の偉い人にそうやって操作され列からできるだけはみ出ないように教育されていく。ほとんどの人が同じルートをたどる。それが一般の人。

この国は偉い人が管理しやすいように昔から時間をかけて、本音と建前をうまく使って「日本人らしく」情報を操作してきた。メディアにも思考を操作され、アナウンサーが読む原稿が正だと思い込むよう、何度も何度も繰り返される。

自分がやりたいことや、自分が感じることは果たして自分の意見だろうか。

正しいことも、間違えていることもないと思うけど、何を信じて何をするのか、したいのかということは自分の中でちゃんと持っておきたい。長いものには巻かれろなんて言うけど、ずっとマイペースで自分らしく調和したい。


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