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自分というひと〜振り返り4〜

言葉が、いや、自分の頭の中に情報が、溜まっていて吐き出さないとどうにかなりそうだ。

二面性がある。笑顔でいたいポジティブな自分と、何も考えられないほど閉じた自分がいる。

昨年、一人暮らしをしていた時にマンションの2階に住んでいてベランダがあった。日中は光が差し込んで洗濯物を干して風が入って来る気持ちのいい場所。夜は向かいのおうちの窓とカーテンは当たり前だけど閉ざされ閉鎖された、月の光だけのスポットライトが灯る場所に変わる。

何回もイメージをした。ベランダの手すりに足をかけて飛べるだろうか?

それは、生死の問題ではなくて、自分の存在と可能性の証明か、自由を求めてか、理由はわからないけど何回も何回も同じイメージをした。

周りに無理をしないでと言われても無理なのである。特に一人暮らしをすると。無理をしているのか、していないのかわからなくなるから。ずっと目線は一方通行で1カメしかない状態。仕方ないじゃない。

今は、朝に3錠、昼2錠、夜5錠の主に安定剤を服用している。

薬を飲むのは日課で慣れて何も感じないけど、ふと、思った。「これ、こんなにのんでるけど、なくなったらどうなるんだろ。大丈夫でしょ。いや、ダメなのかな。ダメだったらほんとうにやばいやつじゃん?」

のんでるから安定しているのかな。ストレスの無い生活を遅れているのは、そういう環境を作ってくれているのもあるけど、薬の効果が大きいのかな。と、ふと不安になった。依存症にならずとも、習慣づいていることがなくなるだけで何か気持ちが悪いものだし。

全部私なのはわかるけど、本当の考えを持っているのはどっちの私?幸いにも、有難くも毎日来る、この境目の時間に私はまた「あの」自分に戻るのだ。

だから夜は下を向いて帰ることが多い。

すると、道路の小道から野草やお花が力強く咲いていて、少し元気になったりする。少しだけど、でも、下を向いて歩こう。夜は、元気を分けてもらおう。

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