岩井俊二監督作品から感じたもの
前回の「リップヴァンウィンクルの花嫁」愛から続き、岩井俊二監督に関してもう少しだけ。
毎回特定の人物に関しての詩と批評を掲載している月刊誌「ユリイカ」で2012年の9月に発行された「岩井俊二」特集。2012年だからリップヴァンはまだ世に出ていないが、関係者や同業者が彼について、彼の作品について語っている。それを読み進めてくと気づくことがあった。
「目には見えないものこそ大事」なのではないかと。
前に「音楽の効能」の記事で書いたけどもしかしたら音楽は世界を救うかもしれないと。確かにリリイシュシュのように信者がいて音楽が人を繋いだり、思考をコントロールしたりする。
スワロウテイルでは、好きな人のために嘘をついたり、犯罪を犯したりする。それが「あなたのためにやってます」なんて誰も伝えない。
ヴァンパイアはそれぞれの優しさが残酷にかばい合い、悲しい結末に繋がる。
リップヴァンは、わかりやすく岩井俊二監督らしいというか、時代の変化がわかりやすく表現されていてSNSで繋がり何を信じていいのかわからず、裏を返してみればなんでもできるしやってくれる。でも愛し合ったであろう彼女たちはSNSを使わずに絆を深めた。
全部共通して言えることは、先述したように「目に見えないもの」がそこには大きく存在している。音楽が世界を変えるのではなく、音楽を聴いた人が動き出すきっかけになり、愛情がまた人を動かす。SNSで繋がりは強くなったように感じる。身近に感じる。でも実際は、それを通して会うことによって感じたことが確信になったりする。
周りには便利な上に素晴らしいものは溢れているけれど、それらは人を動かす「原動力」に過ぎず実際は今も昔も人と人との間に感動が生まれる。決して原動力となるものが直接の要になることはないのではないか。
それを逆に、還元させて表現するのも音楽やSNSのコンテンツであり結果的にはなくてはならないものかもしれない。目に見えないと不安になるから。お金を払うのも、同じ部類。両方あって、安心する。
ややこしく書いてしまったけれど、それらは日常の中にさりげなく入り込み気づかないで私たちは当たり前のように使用している。きっと目に見えるものと見えないもののバランスが崩れると、気持ちがすれ違ったり、喧嘩したりするんだろう。
意思の疎通だけでも結構な体力を使うのだから、自分の思考の中で悩んでも常にデトックスしてスッキリしていたい。
結果、やっぱヨガだな。笑
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