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自分というひと〜振り返り3〜

noteあげすぎなんじゃないかと自分で思うが今日は、ヨガの予定を全部キャンセルして引きこもっている。

なんだか最近調子よかったのにまたおかしい。でも、何がおかしいか分からなくて、吐き出したい「何か」が胸と頭と背後にごちゃごちゃとあるのだけは確かだ。きっと自分の棚卸しを早くしろということだと思う。

春はデトックスの時期だから。ウカウカしていると梅雨が来てしまう。そしたらどうせまた気が滅入るとか言うのが落ちなんでしょう。

前回の話しが結構重かったかもしれないと反省。でも、カットしていたのは本当の話。私はきっと軽いのではないだろうか。早く客観視できたし、何より利き手ではなく左手でカッターを握っていた。

いろんなことが重なった。長い一人暮らし。親との疎遠。金銭面。余裕のなさ。季節。歳。仕事の段階。

真面目で曲がったことが全くできなかったのに、大学の時か卒業してからか、何かがきっかけでバカバカしくなった。もういいやって。大学の時も1回精神科に通って薬を服用した。なんか、もう楽しければいいや、自分の気持ちに素直になって、やりたいことを精一杯「楽しもう」。我慢することない。プツンと何かが切れて、急に自由になった。常識的には悪いとされることをしてもなんとも思わなかった。この社会が勝手に決めたルールなだけだから、全く気にしなかった。肩の荷がおりた。良くも、悪くも、変わった。知らない世界も沢山見れた。

でも根は変わっていなかった。気づかなかった罪悪感みたいなのがあったのかも。ま、回ってくるんだな、悪いことしたら。

なぜか今はハッピーな気分だ。

何かがずれているのかもしれない。私は太宰の「人間失格」をよんで爆笑していた。「逆に」どうしたらそうネガティヴになれるのか、コメディなのかと思ってしまう。

時間軸がバラバラで申し訳ないのだけど、私は小中高と最高ネガティヴでいじめられもした。きっかけは忘れてしまったけれど、悲と笑も表裏一体で、笑って泣く「泣き笑い」、泣いてたら「バカバカしくてだんだん笑えてくる」なんてことがある。だから、私は悲しいこととか嫌なことが多いと感じたから全部「笑」に捉えようと思った。どうせ同じなら、笑ってしまえばいいと。そしたら楽になった。嫌なことも自虐ネタのように楽しく人に話すと、その人も笑ってくれた。

そうやって自分を変形?適応させていったら本当の自分がわからなくなる。いいのか、悪いのかも。でも私の基本は自分含め皆笑ってればいいから、これでいい。

だから、「人間失格」は最高のコメディ小説に思えてならない。

鬱真っ只中には、思考停止状態だ。何考えていたか覚えていない。とにかく薬で1日中眠くて、イライラしていた。よくしてくれる周りの人のことは視界には入らずに自分の世界で自分だけをせめて生きている。その意味すらわかっていなかった。

よく、ここまで回復したもんだなあ〜


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