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心のヨガ

ヨガの時間が必要なのは心も一緒。

ヨガをやっていない時間も同じように、全てを手離して、つまり自由な心でいたいのだけどそれはこの現代社会で、そして人間である以上はなかなか難しいように思う。

煩悩や欲求など、感情がある。

嫉妬したり固執したり依存することは決して自由じゃない。

こうやって文字にすると、あまり心当たりがないかもしれないけれど実際は身近に溢れすぎていて気づかずに浮かんでは持ってしまっている感情ではないだろうか。

私の場合は、「前職に愛情があり、ずっとやりたかったことだから」と言いなかなか手離すことに諦めがつかなかった。これは固執であり執着。「以前飼っていた猫に対しては、喋れないから私が察してあげないと」と。これは依存。そうやって身近に隠れている。

でも、じゃあ何で人間には感情が与えられたのか?試練を与えるのか?そもそも、自由であるのが正しいのか?最後の質問の答えはNOだ。私は、自由であるのが幸せだと賛同している、ただそれだけだ。

どんな感情でも関わる全てが幸せならそれでいいと言うことで、説教をするつもりはなく、そもそもヨガは自分自身を見つけるためにやっている。自分のため。だからゴールも方法も十人十色。

私は自分を裏切らないように生きたい。それだけ守れれば、幸せ。自分の人生は誰かに幸せにしてもらうんじゃなくて自分で見つける。そして大事な人たちと「共存」、一緒にいたい。



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