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場を支配してしまう声と特性と
「ホント声大きいよね。あなたのライブが始まるのかと思っちゃった」
久しぶりに一緒に居酒屋に行った友人から言われたこと。私はただいつも通り、「こんばんは!予約してた山根です〜!」と言って居酒屋に入店しただけだったのに。
でも確かに、そんなに大きな声出さなくても聞こえるとか、声デカ過ぎとか、言われることは多い。ただ私は本当に、普通に声を出してるだけで注目を集めようとか目立とうとかいう意図は全くない。(そういう時は更に大きな声になる)
地声が通る(通りすぎる)+明るくて快活(自分で言うな)な私の声は、それだけで場を支配してしまうということに気付いたのは、実は最近だ。
遮るつもりはないのに、声が大きいから人の会話を遮ってしまったり、そういうつもりはないのに「私の話を聞いて」というふうに聞こえてしまったりしているのだろう。
それは私の仕事の一つである、インタビューや司会進行、時には接客やガイドなどをする時にはとても役に立つ。むしろこの通る声と、場を整えられるスキルで仕事を取ってきたようなものだ。
でも日常のコミュニケーションでは、話を持って行かれるとか、自分のことしか話さないとか思われて、マイナスに働いてしまうこともあるのだろう。そういう自覚はあるから、場に合わせて、相手の話を先に促すとか最後に発言するとか、工夫はしてるけど、声の大きさでそれらがすべて帳消しになってしまってるのかもしれない。
また、声の大きさだけでなく、態度や存在感の大きさも問題なのであろう。
福島県浜通りに移住して10年、これまで200件以上取材記事を書き、それ以上の地元の人たちと関わって来た私は顔が広いし、ネットワークもある。世間が狭い田舎では、文字通り「どこに行っても知り合いがいる」。だからどんな場でも誰かしらに声をかけてもらえる。そして自身も「コミュニケーションお化け」を自認するほど、人見知りせずに初対面の人にも話しかけるので、すぐ場に溶け込めてしまう。それが出来ない人にとっては、私のようにネットワークと溶け込みスキルを持ち合わせてる存在は脅威なのは想像に難くない。
最近そういうことを考え過ぎて、新しい現場やコミュニティに顔を出しづらくなっている自分がいる。いわゆる「老害」的な要素を感じてもいる。もちろん「そんなこと気にせずに、麻衣子さんの好きなところに行っていいと思うよ」と言ってくれる人はいる。だからそう言ってくれる人のところには安心して行ける。今までのコミュニティの人たちは、私はそういう人だと分かってくれてるから。つまり今になって、新しいところに行くのがちょっと怖いのだ。
声が通ること、顔が広いこと、物怖じしないこと。
若い頃、移住したばかりの頃は「長所」とされていたことが、年を重ね地元に根付き始めた今「短所」にもなってしまうというのは、なかなかにキツイなぁと思っている今日この頃。
ご支援いただいた分は、感謝を込めて福島県浜通りへの取材費に充てさせていただきます。