お嬢ちゃん、人生で初めて公に時事ネタについて語る。
今回のジャニーズ事務所の記者会見とジャニーズ被害当事者の会の記者会見を見ていて、どうにも納得いかないものを覚えたのでここで触れておく_φ(・_・
最後に余談(お嬢ちゃんの自慢話)のオマケつき!
内容については触れないけれど、特にわたしがこれはあんまりだと思ったのが、二つの記者会見のマスメディア側からの質問の質である。事務所の方だけを見ていたら分からなかったけれど、そのあと当事者の会の方を見たときに、事務所に対しての質問はぼんやりとしていて忖度だらけだったとはっきり分かった。わりと攻撃的な質問者は一人だけだった。
当事者の会に対しての質問は、性被害の当事者でもある会の代表さんが「(言いたいことや知っていることは山ほどあるけれど)何よりもまずは被害者の救済、それだけを考えていく。」とはっきり明言しているのに、それに対して他の質問をすることに一切の遠慮なし。相手が一般人だからといって、ふてぶてしい態度で回答側に同じことを繰り返し何度も言わせたり、唖然とするような馬鹿らしい質問を何故か嘲笑しながらしたり、内容からして声を詰まらせる必要など全くないのに長々と感情的な質問をして当事者の方を無駄に混乱せるような意味不明な記者がいたり。マスコミ側は、事務所の会見に同席していた記者たちより、遥かに質の低い記者ばかり送り込んだのだろうと思わざるを得ない会見だった。
茶番にしては、相手(当事者の代表方々)に失礼すぎるし、なにこれ?と腹が立って仕方がなかった。
当事者の方は会見の中で大切な言葉をいくつも使っておられたが、おそらくそれらの言葉にマスコミがスポットライトを浴びせることはないだろう。それは「人として、人間として」や「この国の体制が今変わらなければ」といった言葉だ。ここまで聞いておいて、同じ人であり国民である記者があの様子。
でもそれはわたしたちにも全く同じことが言える。
『もし自分が当事者(被害者)だったら』
この観点がない人たちは全員共犯或いは幇助犯だ。
だからわたしは敢えてここで書くことにしたのだ。
わたしは会見を見ながらこんなことを考えていた。
この人たちは全員が自分も被害者であり、今も尚心の傷や病を抱えている。ある人には家族がいて親戚がいて、毎日会社に通っている。家やアパートに住み、近所には住民がいて、待を歩いて、電車に乗ったりしている。自分と全く変わらない環境にいる。
そして、毎日被害者からの相談を受けておられる。
わたしなら、どこまで出来るだろうか?と考えた。
自分が独身ならば、代表メンバーになるだろうか?
顔を出すのは構わないけれど、まず自分のメンタルが保てるのか?日々仲間の告白の相談を聞くたびにどれだけ心が痛み、再び自分のときのことを思い出すのだろうか?事務所関係者やマスメディアに怒りをぶつけずに、こんな会見の場に立てるだろうか?
はっきり言って、とにかく不愉快だ。
弱きものが更に弱きものを叩いたり、弱きものが強きものの意のままにされたり、強きものが見てみぬふりをしたり、そんなことは世の常かもしれない。
しかし、何故、そのことをまるで他人事みたいにネタにしたり傍観したり笑いにまで出来るのか?わたしは、その人たちこそが仁義なき者だと思うのだ。
仁義。
仁とは人の心(博愛の精神)
義とは人の道(正しい行い)
のことである。
当たり前の真人間なら皆、この仁義を持っている。
まずはこの言葉の意味を、現代の日本人は今一度正しく理解せねばならないと思う。
正義だけでは立ち行かない世の中で、人が人を正しく裁くものは仁義だけだからだ。
映画やニュースで聞いたことのある、あの…みたいな感じの言葉ではなく、仁義とは日常に存在する。
孟子はこうも言っている。
「その道を捨てて顧みず、その心を見失って求めることを知らないのは哀しいことである。
人は鶏や犬を見失っても再びこれを求めることが出来るが、心を見失ってはこれを求めることは出来ない。」
心を見失った人間なんているのか?たくさんいる。
さっきも書いたように人に起こった不幸を、まるで他人事みたいにネタにしたり傍観したり笑いにまで出来る人たちは、みんな自分の心を見失っている。
わたしに言わせれば、そんなものは人間じゃない。
今回の事件の様に、国家レベルの大犯罪について、あなたの周りの人たちはどういう反応をしていますか?仁義なき者は、そんなところでうっかりと化けの皮を剥がすもの。気付いたら関ってはいけない。
たとえ恋人であれ友達であれ知り合いであれ、だ。
さて、わたしは何をしよう?
まずは、周りを見渡し、仁義なき者から大切な人たちを守ること。
戦いは避けたいけど、今回みたいな件も起こり得るから覚悟する。
繰り返すけれど、仁義とドラマや映画は関係ない。
はっきり言うとヤクザと仁義はあまり関係がない。
仁義と聞いてヤクザを連想する世の中は終わりつつあるとは思うけど、敬遠すべき言葉では決してないし、むしろ、正義と等しく一般的に浸透すべきだ。
わたし自身、仁義と言うと「お嬢ちゃん好きだねぇ、そういうの。」と度々冷やかされているが、何を勘違いしているのか、説教するのも阿呆らしい。
まぁ、わたしの仁義と言えば結局コレだし、素直に今一度、新・仁義なき戦いを観ると公言しておく。
誰が仁義なき者かそれを見極めるには最適だから。
布袋さんが真っ白(カタギ)で分かりやすい(*´д`)b
余談:
この映画の舞台は、わたしが当時住んでいた待(大阪ミナミ)だったので近所がたくさん出てきていて、リアルタイムで映画を観たわたしは、布袋さんに会いたかった、いつロケしたんやろ?と思った。
さらに余談:
布袋の兄貴とは昔からとかく縁がある。ライブハウスならぬ市民会館でのまさかのダイブに、客席二列目にいたわたしは肩を受け止めた(しばらく手を洗いたくなかった)Facebookのわたしの100人目の友達が布袋さん(の個人アカウント)だった。ある年の元旦早朝に布袋さんが「明けましておめでとう!今年の抱負は?」とツイートしたので、即レスで「美しく生きることです!」とリプライしたら、3秒以内に「素晴らしい!」とリツイートされた。
最近も兄貴の縁結びで新たな出逢いがあったし、いつかお会いできたら散々話がしたいと思っている。
英訳は "Batlle without Honer or Humanty"
(敬意なき者、人間性なき者と戦え)
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