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【日本のロックを熱く語ろう】RADWIMPS#2

はじめに、このTOP画像のトラックは、ラリルレコードというPADWIMPS関連のお店屋さん(よく正体は分からない)で昔購入したもの。かわいくてお気に入りだけど今はもう売ってないみたい。

前回は、ふたりごとに自分の生い立ちを重ねた話を書いた。ふたりごとはわたしにとって人生を変えた曲と言える。
あれからも話は続くのだけれど、個人的なことになるので結果だけ書いておく。
わたしは何年もかけ男の人を愛することが出来た
結果的にはその彼(わたしの洋次郎)が生涯一人の人となったけれど、それも良かったと思っている。

それでは次に、
愛し(かなし)。

この長い曲は一見かなり難解だと思う。
愛と優しさをテーマに扱う曲が以外と数少ないのは、その曲が理解する聴き手を選ぶからだろう。

誰よりも自分が大事で自分が好きな男性と、そんな彼を自分のことよりも好きな女性がいる。
彼には彼女の気持ちが理解できずに考えている。

僕は僕のためだけにあるんだ、それなのに、どうして君はそんな僕を愛おしく思えるの?

彼は彼女のそれを「優しさ」だと呼んだ。

ときに彼女を傷付け泣かせながら、次第に彼にもいろんなことが分かり始める。

心と言葉が重なってたら 一つになったら
いくつの君への悲しい 嘘が優しい色になってたろう

そして、彼はようやく気がつく。
彼女は自分よりも好きな僕がいる自分が好きなんだと。そして今では僕も、自分より好きな彼女がいる今の僕が好きなんだと。

彼はそれを「優しさ」と呼ぶことはもうしない。

大切なのは、この歌詞を通じて彼の中で「優しさ」の定義が変わっていったことにあると思う。
そこがとても深いのだ。

この曲の一番の盛り上がりはこの下りかと思う。

人が人のために流す涙 それこそが愛の存在の証だ
それを教えてくれたのは君だ 君が作った僕の心は

「誰だために それが僕のために」
今は言えるそれがありのままに
生きてくことだと それが人なんだと

愛しは所謂、一般的なラブソングの類はではない。
人として愛や心を持って生きることを、二人を通して描いた曲だと思っている。

そして、優しくこう終わっている。

愛しているという声が 泣いているように聞こえた
心がいつか人を 救うのを 君はいつでも 知っていたの

この曲は長いけれど、歌詞が奥深くとても聴きごたえのある曲なので、ぜひ一度聴いてみて欲しい。


携帯電話。
この曲は切なすぎる。
ちっともかかってこない携帯電話に孤独感を感じつつ、捨てれないいろんな想いもあっていつもポッケに入れて歩いてる。
明るい感じのアップテンポで出来た曲だけど、中身は無茶苦茶切ない歌詞なのだ。

こんなものがなければ 今日も君はいないこと
君と確かにいたこと すぐ隣にいたこと

そんなことのすべてを 僕と君のすべてを
無くせそうにもないこと 忘れられそうにもないこと

だけどこれがあるから こんなものがあるから
今日もどこかにいる君の
その中のどっかに僕の居場所が あるんだろう

最後にこういう救いにも似た言葉を紡ぐ洋次郎さんの優しさがとても好きだ。


夏のせい。
久しぶりにRADWIPPSの曲で胸が躍った。
別記事の夏の曲五選に記事を書いたけど、
恋してない人間の夏って逆に物哀しいというか…
夏は恋の季節なのに何やってるんだろう、わたし?みたいな気もするけど!

この曲も一見、見事にそんな夏の恋の曲なんだけど、曲がとても美しいからわたしはひねくれずに聴けてしまう。

悪い意味で言うとあまり現実味がないのだ。
例えば、歌詞に「浴衣で手を繋いで」とか書いてあると、やっぱり夏はそれやらないといけないのだろうか?とか、現実に迫られる気がするのだけれど、この曲にはそれが感じられない。
そこが好きだな。


RADWIMPSは好きなバンドにしてほとんど曲を聴いたことがないわたしにしては変わったバンドだ。
おそらくわたしが聴くには優しくて少し大人しすぎるのかもしれない。

わたしは絶叫系で、訳の分からない踊りでギターを弾き語るような日本のロックバンドに傾倒してきたから、たぶんRADWIMPSは綺麗すぎるのである。

そして、ラブソングが多めのバンドがけっこう苦手だ。こんな恋がしたいといちいち浮かれるのがもうイヤなのだ。洋次郎さんに限らず、いつまでもラブソングを書き続けるミュージシャンはすごいと思う。わたしはもう恋の歌ではあまり心は動かない。
それでも、PADWIMPSにはもっと近づきたいとは思っている。
このまま知らずにいるにはもったいないロックバンドだと分かっているからだ。

今後ますますの活躍をお祈りしています!




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