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望んでいた場所へ


本日3杯目のルイボスティーを淹れる。

最近毎日のように飲んでいるので、今日はこれで最後。


ルイボスティーって何とも形容しがたい味がするけど、飲みやすくて美味しい。

ゆっくり息を吸う。

こうやって体力を回復させるための時間をちょこちょこ挟む。


むやみに何かをしようとしない。

急がない。



仕事のスケジュールがまた慌ただしくなりそうなのと、少し集中力が必要な大事なイベントを予定していることもあって、休憩の時間を挟むことをより意識する。


こういう時は先回りして心配してみたり、少しでも事前に不安の芽を摘み取りたくて根を詰めそうになったりするけれど、そういう気持ちは一回ストップ。

淡々と毎日できることを積み重ねて、後は身体を休めて元気でいる。


そういうシンプルで安定した生活を優先する方が、望んでいた場所にたどり着きやすいということは、数々の失敗を経て気付いたことだった。

根底にある不安に急かされてペースを上げる方が楽と言えば楽だけど、そこから生まれる一見充実感を伴ったせかせかした生活は、長期的には誰も幸せにしないように思う。



身体の状態をいったんクリアにするために、お世話になっている鍼灸院の予約を取る。

寒くなってきたので、出かける前にクローゼットを開けて、コートかジャケットを探す。

久しぶりに羽織ってみて、なんか違うかなと思ったコートを処分することにする。

どんなに気に入って大切に着ていても、しばらく期間があくと突然合わなくなる服は必ずある。

毎年痩せていっているというのもあるのだろうけど、久しぶりに着ると妙に違和感があるのは、きっと体形の問題だけではないんだろう。


処分するのが寂しくなる服もあるけれど、「お世話になりました。使わせてくれてありがとう。」と言ってお別れする。


結局、ベージュのジャケットを着てストールをぐるぐる巻いて外に出る。

モコモコのコートを着ている親子を見て何だか温かい気持ちになったり、すごく薄着の女性を見て大丈夫かな、と思ったり。


外を歩いていると、不思議な世界だなと思う。




長らく子供たちに関わる仕事をしていると、一番結果がスムーズに出やすい方法も正攻法もあるにはあって、ただ、その「正しさ」を振りかざしてしまうことの危うさもよく感じる。


あくまでも目の前にいる一人ひとりの世界があり、ペースがあり、感覚があって、そうしたものを尊重しながら、時間をかけて信頼関係を作り、その時々の一番ぴたっとはまる最適な方法を探していく方が、皆にとって嬉しい結果がもたらされることが多い。

もちろん、その「結果」というものもまた一つの点に過ぎない。


だからこそ、一緒に過ごす時間の中で自分自身の可能性に気付き、それぞれの世界を輝かせるための力を付けていってほしいと願う。

そして、こういう本来の素直な思いに対して自分自身が近い距離にいられるための余裕を可能な限り継続的に持ちながら過ごしたいなと思う。




最後まで読んでいただいてとっても嬉しいです。ありがとうございます♡