愛情を向ける先に
顔を上げて窓の外に視線を移すと、御所を囲む木々が揺れている。
今にも葉擦れの音が聞こえてきそうなステージ。
本番中に「綺麗だな」と感じる瞬間はこれまでもあったけど、この背景に同化するような演奏がしたい、と初めて思った。
200年前に生きた作曲家と対話し、同時に自分の内面と向き合い続けてきた時間が、これまでにない余裕のようなものを生んでくれたのだと思う。
他の出演者の方が最後まで気持ち良く演奏できますように、と一人一人応援する。
時々やってくる緊張の体感を、じっくり味わう。
仕事の状況が変わっても大好きな音楽を続けられていること、今年は予定になかったコンサートで演奏できる機会が突然やってきてくれたこと。
そんな形でギフトを受け取れていることに改めて心から感謝する。
物事が勝手にスルスルと進んでいくとき、あれこれ考えずにその流れに乗っていくようになった。
「こうして欲しい」とか言わなくても、勝手に最適な人や場所、状況が準備されていくというのは実際にあるのだなと知る。
自分で認識している現実的な不十分さや不安、不足等に対して「そうだよね、そんな気持ちになるよね」と一つ一つ同意しながらも、一回諦める。
会場に向かう途中にあった美容室に予約して、夏から切っていなかった髪をカットしてもらう。
「せっかく演奏するんだから」と髪を巻いてパパっとハーフアップを作ってくださった。
振り返ると、日々そんな優しさの連続の中に生きている。
それは、嬉しい気持ちになる物事に限定されるものではない。
ネガティブな感情をもたらす形で背中を押してくれる場合もある。
昔、競うための場所で演奏していた頃、「色んなことが上手くいかない、何だか力を出し切れない」と感じることが多かったのは、
私自身の感受性の問題だったんだなと思う。
誰かに何かをしてもらったことに対する「お礼」はしていても、全ての現象に対する「感謝」が湧いてくることはなかったというか、
そもそもその違いも分かっていなかったんだと思う。
何年もかけて徐々に自分の内面が変化していくにつれて、練習中にいつも止まってしまう、ミスばかりするという所が、
なぜか本番だけ全て上手くいくという不思議な経験が増えていった。
これは自分の音楽の経験に限ったことではない。
勉強を教えている生徒さん達に関しても、内面が変わっていく子には、数字の推移だけ見ていると奇跡としか考えられないような展開が当然のように起こる。
終演後、2駅分歩いて六角堂に寄る。
京都に来るとつい参拝したくなるお気に入りの空間。
お線香を立てて心を落ち着ける。
受験生の生徒さんのためにお守りを買う。
自分の心を余らせる経験をできているからこそ、誰かのことも自然な形で心から応援できる。
東京・京都の二拠点生活が続けられていることは私の大きな財産になっている。