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バンドマン社長の未来地図vol.9

今日は朝から福岡の実家から電話。
店のオープンは大丈夫なのか?とひたすら心配されたけれど、
予定通り1月30日にオープンすること、その代わり徹底して対策をしようと思ってること等々話して、最後に「大丈夫、私はあの父親の娘やから」と言ったら、「そうね」と笑って頑張りなさいと言ってくれた。
今日はそんな父の話をしようと思う。
どうも、IRabBits麻衣子です。

私の自宅の作業部屋に飾ってある古い新聞記事。
平成9年のものだって。
父親の写真を部屋に飾る30代女性というのもいかがなものなのかというツッコミはさておき。
この世で一番尊敬している人。
私が生まれた頃に起業して、「江戸京」という日本料理屋をオープンし、その後20年後には久留米・福岡市内合わせて11店舗にまで拡大させた。
最後には、天神駅前の大型ショッピングビル「岩田屋」新館の最上階の全フロアにまで進出した。
当時も子供ながらに凄い事だとは思っていたけど、
店を出そうとしている今となっては本当に桁違いにヤバイことを成し遂げたんだなと震える。
だって、家賃いくらよ?って話。笑
半端なく広いこの店舗には、和食エリア、中華エリア、イタリアンエリア、等々いろんなエリアが存在する、いわば食のテーマパークみたいなお店だった。
自宅の食卓で模型を広げては嬉しそうに説明してくれる父の顔とか、
中華エリアの小籠包の職人をスカウトするために、中国まで出張と言って出かけて行った時の父の背中とか、
今も残っている大事な父の記憶。
ちなみにその店の名前は、「季らら天神 桜の雫」という。
もちろん「季ららYokohama」という名前はそこからもらった。

2019年6月9日に病気で父は他界しました。
その時のnoteが残っていたので、久しぶりに自分で読み返してみた。
まだたった2年前のことなのに、すでに忘れかけていた細かなエピソードがあったりして、やはりその時々に綴っておくのは大事だなぁと改めて思う。

その中の一節、
「やはり、私は音楽を、歌を、うたうために生まれたのでしょうか。
答えはこれから、必死で生きて見つけるね。」

そうか、この頃にはまだ店の話はなかったんだなと。
思い返すと、この3ヶ月後の2019年9月に初めて店の話が持ち上がったのだった。
横浜BAYSISというライブハウスで飲んでいる時に、たまたま店長が石川町駅前に15坪のテナントが空いたことを話していて、駅近で1階路面店だし、良い条件だから誰か何かやればいいのにと話しているところに、「あ、私ミュージックバーやりたい」と言ったのが始まりだった。
これはまさか、父が私にくれたキッカケだったのかもしれないとか考え出したら、なんだか震えてきた。

店のオープンに向けて、壁にぶち当たる度に父の遺影に問いかける。
一人で晩酌していて、どうして今みたいな時に、生きていてくれないのかと泣けることもある。
相談したら、厳しいけれど、いつも斜め上の答えをくれる父だった。
今こそ教えてほしいことが山ほどあるのに、と。

でもこれは、頼らずに自分で考えろという父のメッセージなのかもと思ったりもする。
自力で考えて考えて、ぶち当たりながら考えることが、経営者として社長として一番大事なのだと言われているような気がしている。

さぁ、季ららYokohamaオープンまであと8日。

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