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回想や懐古の類

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書き留めておかないとある日ふと思い出すこともないのではという、記憶とも呼べないけれどさっとよぎる過去の情景やちょっとした感情のメモ。
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#記憶

ちょっと通ってきた道

オリビア・ニュートン=ジョン、イッセイミヤケと、訃報の続く週だった。ひとりでニュースを見る分には淡々と処理する程度の、「あの曲聴いてたな」「あの服着てたな」を記憶から取り出しまた埋める作業をささっと終えて、次の仕事に取りかかる。 夜、いつもの酒場へ行く。 隣はノースリーブの似合う腕とうなじを持つ器屋さんとお連れさまだ。お互い軽く会釈の後、各々の世界へ。 「イッセイさんも亡くなっちゃったねぇ。」揚げ物を仕上げた店主がザクザクとそれを切る音が響くなか、お連れさまがぽつりと言った

音楽と記憶③

書けば書くほど連鎖的に記憶がつながっていくのが音楽。いや、たぶんただ思い出話をしたいだけだわ。 Richard Clayderman " Ballade Pour Adeline "小学校の給食の時間、曜日ごとに趣向の異なる音楽や先生のトークが流れていたが、木曜日は色白で黒縁メガネの左近先生の時事トークだった。時事トークと気づいたのは4年生くらいになってからで、それまでは「声のいい人がしゃべっている」程度だった。で、その左近先生の日のオープニングとエンディングがこれ。今でも

音楽と記憶②

思ったより記憶偏重になった①から脱却して、②は140文字程度でガシガシいきたい。 Weather Report " Birdland "幼稚園の頃、父親がずーっとギターで練習していた曲。会社の人とバンドを組んでた父は、会社や地域イベントで時々ステージに立って演奏していた。あともう1曲、独特のギターリフの曲があったのだが、鼻歌検索だと私が下手すぎて探せないので、今度実家に帰ったら曲名を特定する予定。 若かりし頃は安いギターしか買えなかったからと、60近くになった時にレスポール

音楽と記憶①

聴いてる音楽節操ないよね人格分裂してんじゃないの(親しい間柄なので別に悪意はない、はず)と言われることがあり、自分としてはその時聴きたいものや目的に合わせて選んだものを聴いているだけなので、なんで節操ないように見えるんだろうと少し考えた。 おそらく私にとっての音楽は、場面や時間を構成する1パーツなのだ。似た「その時」はあっても、自分の感情や周囲の環境がまったく同じ「その時」はない。水流や夕焼け空の色のようにうつろう。だからそこへフィットする音楽も変化していく。んじゃないか、と

紋付さんの来る庭

ジョウビタキの声が聞こえる季節になると、父方の祖父母の庭をまた思い出す。金木犀、金柑、南天、ツグミ、石蕗、メジロ、椿、れんぎょう、沈丁花、すみれ、にわぜきしょう、アメンボ、つつじ、さつき、ニラの花、牡丹、てっせん、ほたるぶくろ、アブラゼミ、百日紅、コオロギ、柿、ヒヨドリ。季節の移り変わりを緩やかに告げる庭。 縁側の正面からすこしずれて左斜めに見える池(黒い鯉と赤い鯉が2匹ずついた)や、下の道路から上がってくる階段の脇を固める茂みや木々(常に完璧な姿の松を仰ぎ見て階段を上がっ

同期の引退に思うこと

年末にすごくいい記事が出た。 主役の本人もすごく喜んでシェアしていて、過去同じ職務を務めていたこともあり、次は主務という職務に就く人たちの思い出を書こうと思った。私が同好会の主務をやっていた時、蹴球部の主務はT君で、グラウンド利用確認や体育会の集まりなど何かしら接点が多かった私たちは学部や本拠地とする校舎は違ったけれどよく話すようになり、規模や所属するメンバーの部活に対するプライオリティには差があるものの、共通して持っていた運営という難しさの悩みや醍醐味をほぼ愚痴として共有

九州散文

年明けにプレゼンした福岡の仕事が取れたので、1ヶ月に1-2回のペースで通っている。 博多駅でさまざまな行き先の列車を見るにつけ、これまでに蓄積された九州に関わる記憶が断片的によぎっては消えていくので、消えないよう書き留めてみた。 九州は、父の弟、つまり叔父が熊本は田浦(新幹線の新八代が最寄り駅になった!)のみかん農家へ婿に入ったため、その叔父の結婚を皮切りに、連休になると父の実家である名古屋から父の兄家族と祖父祖母がワゴンで西へ下ってきて、当時枚方在住であった私たち一家のワ