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思考の整理

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くだらない持論や一見もっともらしいエビデンスで肉づけしているものの、所詮は同じところをぐるぐるしている思考のたまり場。
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#徒然

いいかわるいかと、好きかそれ以外か。そして自己肯定感を上げることへの過剰さについて。

遠い昔、FM802の番組で、担当DJの最終回、番組の終盤で彼が言った。 「いい音楽、悪い音楽というのはありません。自分の好きな音楽かそれ以外なのです。好きな音楽をどんどん増やしてください。」 私は中学生か高校生で、自分が溺愛している音楽をつくる人たちこそが世界の中心だと思っていた。それ以外の世界、つまり溺愛対象以外の音楽は、聴こえているものの音楽としては消化せず、ただし差別をするわけでもなく、単に自分の中心に存在する溺愛対象を見つめているだけで、それはとても幸せなことだった。

ドコモの新プラン報道発表資料が攻めてると思った話

少し前にプレスリリースを書く機会があり、初稿への広報の赤入れの仕方が、わかりやすさを優先した結果、専門性をないがしろにしているように見えて納得できず、何往復かして着地した。 たかが言葉、されど言葉。語や話す順番、ひらがなか漢字か。専門用語をどう砕くか。読み手の解釈は制御できないからこそ、書き手は極限まで言葉を研ぎすまさなければ、伝えることさえままならないと感じた。 で。そんなタイミングでドコモの新プランahamoの報道発表資料を読んだ。簡潔で強い意志。硬い文章なのに躍動し

それが好きなわけを説明する言葉を持ち続けること

新卒の頃、某百貨店の紳士部に勤めていた。3か月間の研修時は、地下の食品から催事会場のお中元まであらゆるフロアの様々な売り場で働いた。研修期間が終わると、修学旅行以来訪れたというほぼ初めての土地の店舗の紳士部に配属となり、そこから別の店舗の立ち上げで異動した後も紳士部、辞めるまでずっと紳士部だった。 幼い頃からミリタリーやユニフォーム(制服、スポーツウェア)の機能とシルエットとテイストが混ざった加減が好きで、おそらくそれは名護の出身である母親に連れられ年1-2回訪れていた沖縄