ストレッサー
ストレスを与えるもの、こと、人を「ストレッサ」といいます。
江戸時代(今も)、宿(旅館)や茶店、食事処では、沢庵を出す時、2切れてだしていました。
一切れでは「ひと切れ」=「人を切る」につながるために嫌われ、さらに三切れ(み切れ)は「みを切る」=「切腹する」と言うことで意味嫌われたのです。
ただし、1切れやみ切れを嫌うのは武士が中心でした。「刀」に関係なく、「切る」ということにも、遠い町人や商人は、別に沢庵が何切れであろうが構わなかったのです。
タクアンは武士にとってストレッサだった。しかし、町人や商人にはストレッサではありませんでした。
ここで、改めて考えてみます。
宇宙に、絶対的な存在として「ストレッサ」がいるのだろうか、あるのだろうか、と。
「私」がストレスを感じ、イライラしたとします。その人や現象は、淡々と、無色透明で存在しているだけで、「私」が、イライラした瞬間に、それが「イライラさせる人」や「イライラさせること」になったのです。
「私」が「ストレッサ」を産み落とした。
では、「私」がイライラしなかったら。
「私」がイライラしなかったら、「その人」や「そのこと」は、単に通り過ぎるだけのもので、何も「ストレッサ」などではなかったのです。
「私」が「ストレッサ」を生み、誕生させている。
「それでもイライラする私がいます」と言う方は少なくありません。その解決法を教えていきましょう。
「ストレスサード」10という人がいるとします。
「私」の寛容度&許容量が5とか6だとイライラするのです。
もし「私」の寛容度&許容量が20であれば、ストレスサー度10の人の言動にはくになりません。
でも、稀に人の10倍、ストレスサード100の人がいるではないか、現れたらどうするんだ、と言う場合もあるでしょう。
そういう時に「私」の寛容度&許容量が200であれば問題は生じないのです。
どんなストレッサ度の人が現れても、「私」の寛容度&許容量を毎日高める訓練をしていれば(仮に寛容度&許容量を1000にしていれば)、普通の人の20倍のストレッサであっても、30倍であっても、「感じない」。
「忍耐」「辛抱」「我慢」の美徳でありますが、根本的には「気にしない」こと、さらに、その奥「気にならない」ところまで行けば、「私」の人生はとても楽になるのです。