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トトロに会える人

子どもの頃にトトロに会える人はどれくらいいるんだろう。正確に言えば、トトロ「のようなもの」に会える人、というところか。

実は私は会ったことがある。先に言っておくが、私はスピリチュアル的なことがそんなに好きではないし、霊的なものは全く見えない。これはそういうのとは別の話だ。小学1年生の時におばあちゃんの家の畑の脇のどぶで、いるはずのない大きなウミガメを見た。びっくりして、大人たちを呼びに行って帰ってきたらもうウミガメはいなかった。みんな「何かの見間違いじゃない?」って言ったんだけど、私は絶対に見たし、今でもその光景は覚えている。

当時私は学校が終わった後、毎日そのどぶで遊んでいて、ウシガエルのおたまじゃくしをバケツいっぱいとってきて、おばあちゃんちの庭に置いておいたまますっかり忘れていたら、しばらくして大量のウシガエルがバケツから出てきておばあちゃんがびっくりしたということもあった。そんな風にどぶと仲良しだったから、どぶが私にこっそり見せてくれた魔法だったのかもしれない。ウミガメはその一回見たっきり二度と見ることはなかった。それは大人になった今でも私の中に大事に残るセンス・オブ・ワンダーだ。

うちの子どもたちはその話が大好きで、いつか自分にもそんな素敵な出来事が起こらないかなって待っていた。

話は変わって、最近絵本作家ののぶみさんのインスタで妖精が見える子に出会って自分も頑張って見てみようとしたら32歳の時に妖精に会えたというエピソードを読んだ。

子どものうちにしかそういうのは見えないものだと決めつけていたから、大人になっても見えるのか!と私は嬉しくなって、早速子どもたちに話した。

すると妹が「わたし、見えるよ。いつもママが寝たあと妖精と遊んでるよ。昨日もさえ(保育園で仲良しの友達)と三人で夜ママが寝たあと遊んだよ」とニッコリ笑って答えてきたのだ。これには伏線があって、娘はその前の日に「実は私の部屋、さえの部屋とトンネルで繋がっててね、ママが寝た後にさえと二人で遊んでるんだ〜」と言っていたのだった。

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(↑妖精になりきる妹。白いのは羽。)

妹はよく自分があったらいいなと思うことを実際にあったこととして話す。「今日ね、保育園でお風呂に入ったんだけどさ、入浴剤入れたんだよ」とか。「保育園で漢字の勉強するんだけど、難しいんだ」とか。それを「嘘」と呼ぶのは迷うところなのだけど、兄は「妹は嘘つきだ!保育園でお風呂に入るわけないじゃん」とよくバカにしていて、そういうのを見ると私も「周りの子にこんな風に言われるならやめさせた方が良いんだろうか・・」と悩んでしまうような本当につまらない親だった。

でも彼女も、彼女の「嘘」もそんなことにはちっともへこたれなかった。彼女は日に日に「嘘」が上手になりそれはいつしか「素晴らしい想像力」になっていた。あんなにいじわるく言っていた兄に今では「いいなぁ」と言わせてしまうほどに。「この力は大事にしてあげたい」と私に思わせるほどに。彼女の話は人をワクワクさせた。もうそれが嘘でも本当でもどっちでもよくなっていた。

そして私は、あの日大人たちが嘘だと決めつけたウミガメのように、世の中には絶対に嘘に見えるような本当のことがきっとあるのだと思っている。私たちが読んでいる絵本は思っているよりノンフィクションが多いのかもしれない。妹の部屋とさえの部屋はトンネルで繋がっていて、きっと妖精は本当に娘のところに来ているんだろう。寝かしつけながら私が無性に眠たくなって先に寝てしまう日があるのはそんな日なのだ。

兄は今でもトトロを待っている。そして妖精に会える妹が羨ましくて仕方ない。

私は兄にもそんな日が来てくれたらいいなと思っている。

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