各駅散歩の旅(127)
師走の、穏やかな陽気の日に、お散歩して来ました、
京浜急行、市内コンプリートとなりました。
今年最後、かな?
金沢文庫駅
[京急本線]
横浜市内シリーズ95
金沢っても、横浜です。
元は"かねさわ"だったそうですが、加賀に乗っかった模様です。
古くからの地名として、当初の領家が京都の仁和寺と思われる荘園(皇族の門跡寺院領)である、六浦荘の中に金沢郷としてありました。
京急本線の中でも、屈指の要衝でありまして、人の姿も多く賑やかでした。
こじんまりとした、東口から歩き始めました。
予告通り?西口の金沢自然公園方面には、行きませんでした。
プロローグ
駅前の線路と平行する商店街を、八景方向へと歩きました。
レトロチックな小田薬局は、小田和正さんのご実家ですね。
笹釜道路の高架に沿って行くと、国道16号の君ケ崎交差点に出ました。
交通情報でもお馴染みですね。
歩道橋で国道16号を跨いで、住宅街の路地に入りました。
普通に住宅街でした。
始めての道でしたが仄かに土地鑑もあったので、何と無くふらふらと歩いていきました。
見覚えのある、一方通行の狭いバス通りへ無事に出て、緩い坂道を上って行くと、やはり見覚えのある山門の前に辿り着きました。
そこから住宅街に入って、若干不安になりつつも歩いて行きました。
かねさわ
神奈川県立金沢文庫へやって来ました。
元々は"かねさわぶんこ"として、鎌倉時代に設けられた、武家最古とも言われる文庫です。
近代に復興された際に、歴史博物館となったそうです。
入口が扉一つの裏口の様で、若干不安になりましたが、ちゃんと開いていました。
運慶さんの特別展示で、観覧料800円でした。
今年(2024年)が丁度、没後800年なんですね。
普段の観覧料は250円らしいですが、寧ろ常に何等かの特別展をやっていて、何も無い方が珍しい気がしないでも無いです。
全国各地から、国宝や重要文化財が集められていて、改めて凄い仏師だったのだなと感じられました。
こうやって今の時代へ、受け継がれて来た事だけでも、素晴らしい事です。
仏様の表情が、とても柔らかく感じられて、良い時間を過ごせました。
文庫と言うだけあって、吾妻鏡等の書物の展示もあり、かつては源氏物語もありました。
源氏物語を含め、鎌倉幕府滅亡以降に、殆どが散逸してしまったそうです。
因みに、その源氏物語については、名古屋の蓬左文庫所蔵の元となったものである可能性が、見解として出ています。
その金沢文庫の写本自体は、徳川家康さんが所有していたものであり、この3年のNHK大河ドラマが繋がってしまいました。
鎌倉時代ですら、紫式部さんの時代から200年後ですし、家康さんに至っては更に400年の隔たりがある訳ですから、気が遠く成る位には、長い歴史があったのです。
別の出口から外に出ると、そこが正面口の様でありました。
その目の前の、トンネルを抜けて行きました。
晩鐘
トンネルを抜けると、称名寺(真言律宗 金沢山 彌勒院 称名寺)の境内となりました。
と言うかそもそもが、金沢文庫も称名寺も北条(金沢)実時さんの居館敷地内であり、文庫を開いて菩提寺となる称名寺を開きました。
実時さんは、鎌倉幕府2代執権の義時さんの孫に当たります。
元々居館で、後に寺院になった場所と言言えば、宇治の平等院を思い起こしていました。
先程通ったトンネルの横には、古いトンネルが残されていました。
本来なら、境内を通って金沢文庫に向かうのが正規ルートの様ですが、個人的にお参りが先と言うのがありましたから、先に文庫へ行く為に別ルートで行ったのでした。
こちらに来たのは、昨年初詣させて戴いた以来でした。
今回も、しっかりお参りさせて戴きました。
称名寺と言えば、『称名晩鐘』として金沢八景の一つに数えられています。
仁王門から赤門に掛けては、参道の周囲が住宅街となっていて、少し不思議な雰囲気もありましたが、それだけ街に溶け込んでいるとも言えますね。
ゆったりとした、"どうする光る鎌倉殿"的な?時間を過ごせました。
(歴史的表記はWikipedia等ネット資料を参照しました)
旧海岸線
先程脇を抜けた赤門から、前の狭い通りを歩いて行きました。
本格的な、お散歩開始でした。
暫く黙々と歩くと、シーサイドラインが見えて来ました。
駅の向こうに海の公園があり、人工ビーチとなっています。
小柴切通しと呼ばれる、坂道を上りました。
この辺りは、元々陸地だった証でもあります。
アップダウンを越えると、平坦な道となり、チラリと海が見えました。
漁港かな?
山(丘陵)の袂に沿って、歩く感じでした。
親水施設と言うか、水の流れて居ない小川沿いの遊歩道を歩きました。
進行方向の左手は山で、恐らく右手は埋立地です。
小柴自然公園と言う、芝生の広がる公園を歩きました。
元は、米軍の小柴貯油施設(その前は旧日本海軍)で、返還後に国から横浜市に移管されました。
埋立前は、目の前が海だった様で、その後は地下をパイプラインが通っていたそうです。
公園として開放されて、市内初のインクルーシブ遊具広場も整備されました。
まぁインクルーシブって、ユニバーサルデザインみたいな感じですかね。
公園内では、海食崖を見る事が出来ました。
確か三溪園にもあって、首都高速から良く見えた筈です。
公園を抜けると、お洒落な建物が現れました。
旧横浜検疫所の事務所棟外観を復元したそうで、隣接していた旧細菌検査室には、野口英世さんが勤めていた(5ヶ月程)ので、この一帯は長浜野口記念公園にもなっていました。
やはり道路から高い場所にあるので、目前が埋立前には海だった様です。
長浜ホールの向かいには、横浜高校の長浜グラウンドがありました。
野球部は、今年の秋季関東大会で優勝して、明治神宮野球大会で日本一になりました。
横高グラウンドに隣接して、長浜公園がありました。
汽水池や人工干潟等があり、自然保護エリアとなっていて、野鳥等が観察出来る様になっていました。
汽水池や人工干潟と言う位ですから、海水が混ざっていると言う事になりますけれど、一応水路で海と繋がっているそうです。
海迄1キロ程離れていますが、どういったシステムなんでしょうね。
公園としては、横横道路を挟んで北側にも広がっていて、南側は保護エリアが中心でしたが、逆に北側は芝生広場やグラウンドもあって、開放感のある場所でした。
長浜公園を出て、埋立地っぽい平坦な道を進みました。
団地や高校等もあって、大きな公園もありますから、ゆったりした雰囲気でありました。
高校に隣接して運河があって、この辺りが元からの陸地との境で、緩やかな坂が始まっていました。
磯子から金沢に掛けての辺りでは、天然の陸地との境目の目安となる、国道16号に出る頃にはかなり薄暗くなってしまいました。
ゴール
普段は通過する事はあっても、下車する事はありませんでしたが、この3ヶ月で3度目となる、京急富岡駅が今回のゴールでありました。
135分のお散歩でした。
金沢文庫と称名寺は(隣接と言うか同じ敷地なので)、当初から寄る予定でしたが、後はふわっとした感じの見切り発車で、思った以上に歩いてしまいました。
やはり知らないエリアではありませんでしたが、歩いたからこそ立ち寄れた場所だったり、見る事が出来た景色があったりで、今回も有意義な時間となりました。
さて、
そんなこんなで
今年最後の『各駅散歩の旅』と言う事で、来年も勿論歩きますよ。
(了)