9年の月日を超えて考える震災
今日は、東日本大震災から9年たった3月11日だ。だから、その事を書こうと思う。
9年前の夕方、私は東京にいて、会社から歩いて家に帰っていた。電車が止まっていたからだ。家に帰ればなんとかなると思い、「とりあえず家に!」と8時間ぐらいかけて歩いて帰った。帰ったら母がいて、暖房の前で暖まりながら「散々な一日だった」と愚痴をこぼしていた。
ニュースを見て、命があるだけで”散々じゃない”ことを知った。
~被災地と私を結んだもの~
昨年、アンコンシャスバイアス研究所が主催する、東北フィールドトリップツアーに参加した。そこで、初めて私は震災と向き合う事となった。その時のことは、コラムとして書かせてもらっている。
東北フィールドトリップ① ~知ることから生まれる思い~
東北フィールドトリップ② ~命を持つ覚悟がありますか?~
東北フィールドトリップ③~小学3年生から見る震災~
東北フィールドトリップ④~"糸かけ"がつなぐ思い~
私の親族は、基本西に集まっており、東北には縁が無かった。私の生活は次の週から普通に戻ったし、家族も生きていた。時間が流れるとともに、心のざわつきは消えていき、震災への思いは風化していった。
実際に私はこの目で現地を見る機会があったことで、震災とどう向き合うかを、初めて考えられた気がしている。
~知ることを怖がらない~
私は被災地にいなかったし、現地での恐怖、家族を亡くす悲しさ、家が無くなる絶望を知らない。
だから、東北フィールドトリップツアーで初めて被災地にふれた時、どうすればいいか分からなかった。被災者の方の話を聞いて、心が痛くなる。でも、私は体験していないから。だから、簡単に「辛いですよね」「分かります」「理解できます」なんて、絶対に言葉にできなかった。
そんな私が、何を言えようか?
被災地の方の話を聞いて、何を思えばいいのだろうか?
今抱いている苦しさでさえ、偽善なんじゃないだろうか?
そんな気持ちを抱いていて、話を聞くたび心が重くなった。そんな時に、被災地の人が言ってくれた。
「理解してほしいとは思っていない。同じ思いもしてほしくない。ただ知ってほしい。」
その言葉で、重かった心がスッと軽くなったことを覚えている。「知ること」こそが、経験してない者ができる最初の事なんだと思った。
~今日をどう過ごすか~
震災地の方は、「大切な人に大切と伝えてください」という事を教えてくれた。いつ、大切な人と会えなくなるか分からないのだからと。
と、書いていて。最近旦那に優しくない自分にふと気づいたりもする。「大
切な人、大切に出来てないわ・・・」と自分を振りかえる。
震災の事を書くからと言って、私は震災地に何もできないのだけど。震災地の方から教えてもらったことを、私のまわり半径数メートルの範囲のなかで、出来ることを、まずは私から行っていきたい。
なんてことを書いていたら、日本放送協会、株式会社フジテレビジョン、ヤフー株式会社が合同で行っている東日本大震災の特番のタイトルは、「メディアの壁を越えて、災害情報発信のあり方を考える」だった。メディアが、自分のできる範囲で、出来ることを、自分から行うために何を考えているかを発信している番組ってことだよなと、その番組を見ている。
今日、私は震災の特番を見て9年たった震災の今を”知り”、旦那に「いつもありがとう。好きですよ。」と”伝え”、両親に電話をして感謝していることを”伝え”、1日を過ごしたいと思っている。
それが、今すぐ私ができることだから。
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