違うことは嫌われることなの?
こんにちは まいへいです。
気付けば2月も終わり。
わたしは今月1つも記事を書いておりません。
もう物書きと言えないレベルです。
もはやYouTube観過ぎて、閲覧オンリーのユーチューバーになってます。
閲覧オンリーだと需要も魅力もないので、noteを書いていきます。
今日テーマにしたいのが、「人と違う」ということです。
最近は「多様性」だ「ダイバーシティ」だと言われていますが、どれだけの人が「人と違うけれど生きやすい」と感じられているのでしょうか。
昔に比べれば随分生きやすいと思います。
昔は人権侵害や差別が当たり前で、人と違うことは「生きられない」ことと同義だったかもしれません。
それに比べれば、現代は生きやすい。
昔に比べれば差別も人権侵害もかなり少ない。
それなのに、「人と違うことに気を病み、自分に自信が持てない」人が多い。
なぜなのでしょうね。
人と違うということは、オリジナリティで個性と言える反面、そのオリジナリティが理解されないと反感を買うというのも事実です。
人と違うことは素晴らしい
そんな共通認識がありながら
他の人と違う人は異端だ
そう思われるのが現実。
異端であっても
たとえば頭が良いとか誰かに貢献しているとか
そんな分かりやすいメリットがある異端であれば、「ようこそ!」とされますが
そうじゃなく、なんとなく人と違ってなんとなく周囲と馴染めない
そんな人の方が圧倒的に多くて
そして忌み嫌われやすいのが現実でしょう。
多様性を謳う現代は確かに素晴らしいし、魅力的にうつります。
でも実際は、まだまだ「多様性」に馴染めない人が多いのが事実でしょう。
人と違うことが良いのか悪いのかで言えば、良いでしょう。
でも、人は自分と違うものを怖がる生き物です。
だから自分の知識や経験に存在しない人を避けてしまう
仕方のない性質なんですよね。
LGBTQ+や発達、身体障がい、階級の差などで多くの人が自分と違う人たちと暮らしています。
そんな中で「自分と違う特徴がある人」を、意識しなくても避けていたり快く思わない人がいたりするのは性分です。
そこをどう摺り寄せていくかがいま求められることで
それをどう摺り合わせたら良いのか分からないのが現代人なのだと思います。
人と違うのは良いことだけれど
自分と違う人はなんか怖い
これが多くの人の本音でしょう。
わたしはそう思います。
目に見える違いだけでなく、思想などの考え方や価値観の違いもあるでしょう。
自分と違う意見や価値観を持つ人を非難するのは「怖い」から。
人と違う自分に自信が持てないのは「非難されることが怖い」から。
けっきょく恐怖なんですよね、人間を支配しているものって。
恐怖に支配されない人は強い。
怖がるものがない人は優しい。
受け入れる強さは皆が持っているわけではないし
何も怖がらない人なんて、ほぼいないでしょう。
怖がりで弱虫な私たちが、どんな人でも受け入れられる強さを持てるのはいつになることでしょうね。
人間は醜くて、でもその醜さを知っているから、美しく魅せる技を身につけるのだと思います。
その1つが「多様性」なんだろうな、と思うここ最近です。
以上。
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