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今日死ぬかもしれないと思った時に後悔するのは、まだ絵本作家になろうと自分の全力を出し切っていない、ということだった2011年3月11日

2011年3月11日から、今日で11年が経ちます。たとえ被災の当事者じゃなくっても、きっと多くの人が、今日、この日のことを書くかもしれないと、思いを馳せながら。
その中の1人として、書かずにはいられない気持ちを、ここに残しておこうと思います。

わたしはあの日、名古屋市の公立中学校で美術教員として勤務していました。午後は生徒会役員選挙があり、みんなで体育館にいた時に、大きく天井が揺れました。

その後、職員室で流されていた、津波の報道。

あの日の出来事と…同じ年の5月に、長い闘病生活の末亡くなった、元生徒の死は、

『今日、もしかしたら死ぬかもれしれない』ということと、

『けど今は、こうして生きている』ということを、わたしに強烈に、意識させました。


そして、津波で住民避難を呼びかけるために、一人危険な場所に残って、最期までアナウンスを続けていた、とある公務員の方の報道を目にし…

果たしてわたしも’公僕’として、緊急事態の時に、自分の家族よりも、そんなふうに、公務を優先させることができるだろうか…?
そんな覚悟なんてまったくないのに。

そんなことも、思いました。

色々なことが、非常に理不尽だと思いました。

教員として、とてもじゃないけど褒められたものじゃない、劣等生のわたしが生きていて、わたしの半分の年にしかならない、将来有望なあの子が病気で亡くなるなんて、一体どうなってるんだ、と。そして、真面目で実直に生きてきたであろう、たくさんの、東北で暮らす人たちが、大切な家族や仕事や家を失って、あんな目にあったのに、

わたしはと言えば…日々、のほほんと暮らしている。

それって一体、どういうことなんだ、と。


意味もなく理不尽なことが、世の中には溢れているというけれど、
それに何らかの意味を、人間は見出さないといられないのではないかと思います。

たとえ、自分が直接の被害に遭わなかったとしても、『想像力』と『共感力』という翼は、時に自分自身の力でも、コントロールできないくらいに大きく羽ばたき、負の方向にも、心を切り裂いていきます。

『僕は最後まで、病気を治すことを諦めずに、戦ったよ』


『先生は、どうなの?やる前から、諦めてるの?まだスタートラインすらたっていないのに。』


心の中で、生徒にそんなふうに言われたような気がしてしまいました。(それはわたしのただの妄想であって、彼はそんなふうに誰かに対して言う人間では、断じてありません…わたし自身が、誰よりもわたしに対して、そんなふうに思っていたからです。)


教員を辞めて、絵本作家として生きよう。

今、当時のことを思い出しても、おろかな選択だったと思うし、もし、同じようなことを言っている子が相談に来たら、

『もっとちゃんとよく、考えなよ』

と言ってしまうと思います。

そもそも教員の仕事だって、大好きだったのです。
あまりにもコミュ障で(わたしが)、1年で辞めようと思っていたのに、年を追うごとに、授業をするということが、おもしろくなっていって。
生徒や同僚や保護者の方々にとっちゃ、頼りなかっただろうなと思いながらも。

あのまま教員の仕事を続けながら、絵本を描き続けていく道を、長いこと模索していました…
まったく適性がなかった運動部の顧問も受け持ちながら(生徒たちにごめん、って思いながら)、絵を描いて、絵本をつくって、カフェやギャラリーで展示して。

そうして、授業をしていく中で興味が芽生えた、特別支援の勉強も放送大学でして、資格もとって、特別支援教員として、希望を出して、異動させてもらったのに。(長年、特別支援教員として勤務されていた、絵本作家のかがくいひろしさんにも憧れていたのです…)


けれど美術教育と特別支援教育は、要素として重なる部分はあっても、やはり非なるもので、この道を知るのには、また更に10年くらいはかかるだろうということは、やり始めてすぐ気がつきました。

何より、毎日を全力で、手加減なしで生きる生徒たちを目の前にして、
そこそこ要領よく、世の中を渡っていこうとしている自分に、ほとほと嫌気がさしてきたのです。

(あくまで自分自身に対してそう思った、というだけであって、教員という仕事がそうだと言うことでは、まったくありません。今も教員友達が何人かいますが、やはりやりがいとか制度的なものはしっかりあっても、すごく精神的なストレスも多い仕事だし、適性がないと続けていくのは本当に難しいと思うし、とても尊敬しています…)

『いつか絵本作家になれたらいいなあ』
と思いながらも、
それを
『けれど仕事もあるからね…そんなに本気ではできないよね…』
と心の中で言い訳をしながら、教員の仕事だって、なんとなく中途半端。そんな自分が、心底、嫌になったのです。

たとえ愚かでも無謀だとしても、思いっきりぶつかって、挑戦してみたい…

一度、一定ラインまで噴き出してしまった自分の想いに、もう蓋をすることができなかった。

自分のことを、嫌いになりたくなかった。

それが、平和で贅沢な悩みだと言われようと、
自分自身のことしか考えていない、若さゆえの悩みと言われようと、


一体、全力出したら、どこまでできるの…?

それを、試してみたかった。

だって、一度きりの、人生だから。

明日、死んじゃうかもしれないから。

その時に、今の自分のままじゃ、絶対に後悔する、って思ったから。


やむにやまれぬ思いが溢れて、そうして翌年の2012年から、走り続けて。

今までの10年…ずっと、どこかで、気を張り詰め続けていたように思います。

震災を経て…そしてあの子の、病気と闘う生きざまを知って…人生を変えた人間が、ここに1人は、いる。

そのことが、あの子が一生懸命生きてきたことの、証でもある。

命はなにも、子孫だとか、血のつながったものだけに引き継がれるのではなくて、

その人がどんなふうに生きたかが、周囲の人間に、大きな影響を与え、

たとえ短くても、自分の人生を生ききったあの子が、その命のバトンを、次の誰かに繋ごうとして。

わたしはそのバトンを、受け取った1人なんだ。

そしてバトンを受け取ったからには、ちゃんと結果を出して、その姿を、生徒たちにも、自分の背中で、行動で、示すこと。次の誰かに、バトンを受け取ってもらうために。

ずっと、そんな思いが、自分を焚きつけていました。

でも去年、NHKの朝ドラの『おかえりモネ』を観ながら…

震災当時、感じた気持ちを、モネや、モネのお母さんはじめ(小学校の教員だった)、色々な人生に重ねながら、

そしていま、11年経ってみて、気づくのです。

そんな使命感みたいなものはすべて、わたしの驕りでした。

振り返ってみても、わたしの力で達成できたことなんて、何ひとつとしてなかった。
もちろん、自分なりに全力を尽くして、努力はしてきたけれど…でもそれは、この道に進もうとする人間なら、誰しもが空気のように、当たり前にしていることで。

むしろ無力を感じることばかりだったし、今までわたしがこうして、なんとか生きてこられたのは、ただ単に、運が良かった…そして溢れてくるのは、出会って関わってくださった、周りの方々への、感謝だけなのです。

ただ、ここに生きている、ということを、きちんと味わうこと。

自分の人生で、一体何を大切にしたいのか…その自分にとっての優先順位が、自分できちんと、理解できていること。

誰から褒められなかったとしても、自分自身は自分のことを、誰よりも見ているし、ちゃんと褒めて、認めてあげられること。


大好きな人に大好きといい、

会いたい人に会いたいと言い、

お世話になった人にありがとうを言い、

出会う人に、できる限り、親切に、丁寧に。

自分を機嫌よくさせる方法を見つけて、毎日を過ごす。


そんな、”当たり前”という言葉で済まされてしまうかもしれない日常が、どれほど、尊いことか。

今、こうしている間も、同じ空の下で、戦争が起こっていて…日本でも、被災したり何らかの事情で、ご家族やそれまでのコミュニティから離れて過ごす方も、東北以外にも色々な場所に、いることでしょう。

そのことを想像するだけで、心がバラバラに、ちぎれてしまいそうです。

それでもなんとか、心の均衡を保って、こうして立っていられるのは、この世界に、大切に思う人たちがたくさんいて…支え、支えられていると思えるからです。

誰かの涙ではなく、笑顔を増やしたいと思って行動している人たちが、いたる場所にいることも、知っているからです。

明るい未来を、思い描くこと。
きっと世界をいい方向に変えられると、信じること。


想像力の翼は、自分1人だけを、遠くまで運ぶのではなくて…周りの人たちを、なるべくたくさん乗せて、楽しい方向に飛んでいくために、使えるのです。


足りない部分やできていない部分を、お互いに攻め合ったり、恐怖や不安で、心を曇らせるのではなく…


その人がその人らしく、いいところをどんどん伸ばしていける社会を、つくりたい。わたしはそんな社会で、大切な人たちと共に生きていきたいし、子どもたちにも、そんな自分たちの心地よい居場所を、いろんな場所に、見つけてほしい。


それが、わたしが絵本やものをつくり、自分の人生を通して、子どもたちに向けて、何よりも伝えていきたいことです。

『いつでもここが、スタートライン』

あの当時の、学年目標が…そしてあの子をはじめとする、今まで出会ってきた生徒たちの、懸命で真摯に生きる姿が、今でもわたしの胸を熱くし、行動し続けるモチベーションになっているのです。


(写真は、2012年に絵本教室のみんなと絵本のイベントをしに行った時に撮影した、石巻の海。)


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