旅は修行
この連休も旅に出ていた。
旅は自分探しではない。そりゃそうだ。自分はここにいる。別の場所を浮遊しているわけではない。
では旅が現実逃避なのかというとそうでもなくて、わたしの場合は現実を背負ったまま旅に出て、背負ったまま帰ってくることが非常に多い。現実もまた、自我と同じようにわたしの中にこびりついているのだ。
夜、宿で床についたときに、そういった「現実の荒波」が押し寄せてきてしまって眠れなくなってしまうことも少なくない。待っている現実の重さを思い、ガチで泣いた時もあった。どこに行ったって自由にはなれない。そうだ。旅は楽しいだけじゃない。苦しいときさえある。
じゃあなぜ旅に出るのだろう。
わたしは、普段の生活から逸脱することによって、自分が外でもちゃんとやっていけるのかってことを確かめて安心したいのだと思う。
いつも生活している場所からひとり離れてあちこち訪ねる。場所を調べ、乗り物を調べ、試行錯誤する。そういう事柄をひとつひとつクリアしていくことで、普段の生活ででは得られない小さな自信を身に付ける。
毎日毎日、同じ場所で仕事をしていると不安になるのだ。会社という小さな括りの中では、あるいは生活圏という小さなコミュニティの中ではなんとかうまくやってるけど、でもそれは、あくまでその小さな箱の中だけでのことで、果たして、ここから出たなら使い物になるのかならないのかと。
他所の土地に行ってもちゃんとうまく立ち回れるの?にんげんやれるの?
もちろん、他所で生活し、仕事をする訳じゃないから、厳密に言うと違うと思うけど、それは社会的にどうのという問題じゃなくて、人として生きていくのに自分大丈夫か?という問いかけなのだと思う。
慣れない土地で、なんとかひとつの課題をクリアすると、ああよかった、と思う。楽しかったらラッキーだけど、とりあえず、その安堵感がほしい。
乗る電車を間違えずに目的地に行けたなら10点、車を運転して無事1日を終えたら20点、地元の人、あるいは旅の人と挨拶以上のコミュニケーションを持てたら30点。
いまわたしは日常生活の方で自信を失いかけている。こんな不安な状態をいったいいつまで続ければいいのか。
だから、どこに行ったって自分は自然に振る舞えるのだということを確かめたい。そのために、度々ひとりで旅に出る。
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