わたしのことを知らない人と話したい

 わたしはいわゆる「人見知り」ではないと思っている。知らない人に話しかけることにはあまり抵抗がない。

 わたしが問題なのは、ある人と「見知った」あとである。たぶん、いつもいつも、関係を「築こう」としていないのだ。だからわたしには、友達だと自信を持って言える人がほぼいない。

 友達ってなんのために作るのだろうと考えることがある。一緒にどこかへ行くため?助けてもらうため?ならわたしは今のところ、友達を欲する理由というのがほぼない。どこへでもひとりで出掛けていくし、助けてもらうなんて申し訳ないから。

 話を聞いてもらうためという人もいるのだろうけど、それだけなら、わたしは知らない人でもいいんじゃないかと思っている。前述のとおり、わたしは人見知りをするのではないし。

 なんと言うか、わたしのことを知っている人には「自分のこと」を話しにくいのだ。とくに悩みは。家族とか数少ない友達はわたしが真面目だと知っている。いや、知っていると言うよりは、認識していると言った方がいいのか。だってわたしは真面目じゃないときだってある。

 誰でもそうかもしれないけど、人格なんて常に揺らいでいるもので、しっかり決まってなんていない。生きてくってことはいいときも悪いときもあるのだから、その時々で気分を変化させないととてもやっていけない。

 だから「真面目」と言うのはおおかたの他人が勝手にそう思っているイメージであって、わたしの本質ではない。

 だけど、例えばわたしが悩みを知人に打ち明けるとき、彼らは「真面目」という色眼鏡を通してその悩みを聞き、それにふさわしい答えを出してくれようとする。

 悩みに答えるという行為は、ある種の責任を負う行為じゃないかと思う。誰かの助言を100%頼ってしまう人なら、その人の言った通りの行動をしちゃうわけだから、相手によってはとても危険な行為なのだ。そんなこと、わたしはわたしの知人にはさせられない。

 誰にもわたしのことで責任をとらせたくないのだ。

 だから、わたしは悩んでいることほど、わたしのことを全く知らない人に打ち明けたい。すぐにサヨナラする人に、無責任な助言をしてほしい。わたしも全く知らない人の助言を無責任に聞き流したい。

 結論なんて出なくていいのだ。なんと言うか、真剣に受け止めるんじゃなくて、ただその人の考えを聞き流したい。その後どうするかはもちろんわたしが決める。

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