わたしを褒めて

 昔の話なんだけど、わたしは勉強が出来た。学校で教わるだけで、家で復習なんてしなくても、テストでいい点が取れたのだ。中学に上がってからは中間テストとか期末テストの順位がプリントで配られるようになった。その頃わたしはクラスでは3位以内には入ってたし、学年でも10番以内には入ってた。

 だけど、その順位発表を見た母から褒められたことは一度もなかった。

 成績がいいだけじゃなくて、わたしは真面目で模範的な生徒だった。まわりの女の子が制服のスカートを短くしたり、逆に長くしたりしている中で、わたしは、与えられたものをそのまま着て、遅刻も欠席もせず、3年の時には生徒会に入った。華美に走らずグレもせず、服装検査のときには「迷子のようにしなさい」と先生に言われるような模範的な生徒だったのだ。そのことは当然通信簿にも書かれていた。

 だけど、目に見えて「いい子」のわたしを母はやはり、褒めてはくれなかった。

 今思えば、頑張りもせず成績がいいということは、つまり怠けていることと同義だから褒めるに値しないし、模範的ということは普通であることだから特別褒めることでもなかったのかもしれない。だけど、幼いわたしはどうしたって「自分は出来る子なのに、褒めてくれない」といじける気持ちがこびりついてしまって、それが今でも残っている。

 とにかく褒めてほしい。その欲求はきっと、わたしは強い。

 まあ、努力しないでもいい成績がとれた「神童時代」は高校入るとともに終わりを告げ、自分は天才じゃないことが解ったんで、そこからは努力した。そして就職氷河期が始まった頃に社会に出てみたら、そこは実に報われないことが多いところだと面食らった。

 何年も職を転々とし、やっとある会社に入って正社員になれたけれども、自分では頑張ってるつもりでも、まー褒められない。怒られてばっかり。

 まあね。会社と言うところは家とは違って、常に成長し続けなければいけない場所だから、家より厳しくて当然なんだけど、それでも厳しすぎるよね。たまにすごく面倒な仕事を誰かの肩代わりにやったとしても感謝されず、そしてたまにすごく出来上がりのいい仕事が出来たとしても褒められない。

 報われない。こんなに頑張っているのに。こんなに苦しんでいるのに。褒めてよ。わたしを褒めて。

 親に褒められたことがほぼないわたしは、今も餓え続けている。叩かれて伸びるやつもいるなんて信じない。人は承認されて初めて自信を得られるのだ。だから褒めろ。コラ上司。

 褒めてくれれば、もっと良くなるのに。だから褒めて。

 と褒められることを熱望し続けていたら、つい最近、よく褒めてくれる人が現れた。同じ会社の人じゃないんだけど、仕事関係のつながりがある人で、ちょくちょく顔を合わせるようになった女の人。

 最近知り合ったばっかりなのだが、ニ度目に顔を合わせたときには「そのジャケットステキですね。センスいいです」と褒めてくれた。このジャケットは自分で選んで買ったものだから、嬉しいし気分は上がった。

 だけど、次に会ったときにも、その次に会ったときにも、彼女は必ず、わたしのどこかしらを褒めてきた。髪型を、靴を、バッグを、腕時計を。そしてわたしは思った。

 毎回褒められるのって、ありがたみが少ないし、なんか嘘っぽいな。

 あんなに褒められることを切望していたわたしが、褒められて嬉しくなくなっちゃったのである。逆に心配になっちゃった。彼女なりの処世術なのかもしれないけど、毎回褒めるなんておかしくないかな?必死な感じがする。無理に褒めるところ探してる感じがする。

 「褒める」って行為は、たまにするからありがたみがあるんであって、褒めてばかりいたら、相手はダメになるかもしれないな、と思った。もちろん、毎回「叩く」のも結果は一緒だなと。

 4回叩いたら、1回褒めるくらいがいいんじゃないか。それくらいのペースなら褒められることにありがたみが生まれるし、相手が自分のことを上っ面じゃなくてちゃんと見てくれているのだと感じることができる。

 そこらへんをふまえた上で、そろそろ褒めて欲しいんだけどなぁ、上司ぃ。

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