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41歳の別れ

 捨てることに潔いわたしでも、未だに捨てられないものがあった。マンドリンという弦楽器。

 中学生だった頃部活でマンドリンをやっていた。自分のが欲しくて父に買ってもらった。大事なものだから進学のために札幌に出てくるときにも連れてきた。それからずっと一緒。でも、仕事で時間の都合がつかないためサークルに所属することもできず、一人暮らしの集合住宅で鳴らすわけにもいかず、最後にはクローゼットの中に仕舞われてしまった。

 それっきり、弾くことも処分することもなく20年が経った。

 売りに出そう。そう判断できるまで20年もかかったことが情けない。今の部屋に越してきてから10年仕舞われっぱなしのマンドリンをようやっと引っ張り出した。

 マンドリン本体に傷みはない。買い溜めておいた鼈甲のピックも使われぬまま。ケースを拭いて、本体もできるだけきれいにして、最後にチューニングをした。

 中学の3年間ずっとマンドリンを弾けたわけではなかった。2年の途中で部員が足りないことから軽音楽部に形を変えてしまい、あっと言う間にエレキギターの音が響く場所になってしまった。それで悔しい思いで退部をしたのだ。あのままいてもマンドリンは弾けなかった。

 でも、弦を押さえすぎて固くなった指先や、毎日最初にやるチューニングの音や、わたしにマンドリンを教えてくれた先輩の顔や名前もはっきり思い出せる。20年以上経った今でも、わたしはチューニングを正確にできる。

 売ろうという考えが自分のなかに生まれたときが一番辛かった。高価いものではないけれど、思い入れがとても強かったんだと思い知らされた。だったらなんでこれまで放っておいたんだ。もっと早くこの暗い場所から出してやれなかったのか。

 このままわたしのもとにいたら、このマンドリンの「生涯」は気の毒なものになると思った。楽器は音を出してナンボだし、ここで使われないのなら一刻も早く新たな持ち主のところへ行ける可能性を作ってあげたい。

 人との別れで泣いたこともないわたしが、マンドリンと手放すのが辛すぎて泣いた。そして、これまでの仕打ちを思い、さらに泣いた。

 買い取りをしてくれる楽器屋さんにあらかじめわからないことを聞きに行って、翌日マンドリンを持ち込んだ。とても丁寧に査定してくれて、ちゃんと値をつけて買い取ってくれた。

 次はちゃんと弾いてくれる方のところへ渡ってほしいと願う。今まで本当にありがとう。

 得たお金は家族のために使わさせてもらった。そんな41歳の別れだった。

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