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希望の光を灯したり愛貫くためには?

今日の現代文は遠藤周作さんの「死海のほとり」を解きました。高校だったか中学だったかの現代文の先生が
「遠藤周作は日本の知」だと熱弁していたのを覚えています。当時は「海と毒薬」を授業で習ったような…?

調べてみると、代表作「沈黙」は欧米でも高い評価を得て、ノーベル文学賞の候補にもなっていたそう。12歳の時にカトリックの洗礼を受け、キリストにまつわる作品も多い中、ユーモアに富んだエッセイも多く手がけているようです。今回の文章がかなり暗い印象だったので、いろんな角度から遠藤さんを知ってみたい!

さて今日の内容は、コバルスキと言う囚人とキリストとマディ神父の対比のシーンです。
まず、この「死海のほとり」は小説ですが、「小説を読む」のではなく「問題をとく」となると中々に骨が折れます。いかに自分の思い込みで想像を膨らませていたのかと言うことを実感します。
もちろん小説にインスパイアされて自分オリジナルの世界を創るのはいいことだと思うのですが
読み取る力をつけると、小説ももっと違った楽しみができるんだと確信しました。

戦時中の収容所では、誰もが生き残るために他人に無関心になり、いつ自分が死ぬかわからない恐怖と戦っていました。
そうした中、脱走者の身代わりに監視塔に入ることを申し出た神父がいました。
この状況とキリストが追手に囚われるシーンが対比されています。

ここを出口先生の解説とともに読み深めた時、映画「ショーシャンクの空に」と重なりました。
この話の中では絶望の生活の中、希望を捨てない一人の男が自分の力で運命を変えていく姿が描かれています。
本文では、自分が生き残ることに必死になる中、他人への愛を示した神父の姿が、世の中の人のために自分の死を選んだキリストに投影されています。

希望や愛というものは、幸福や満ち足りた感情をもたらすものですが、それを自分がどのように捉えているかは
極限の状態にならなければ実感できないと思います。
特に現代の日本では、生命の危機に晒されることなどほとんどなく、私たちは余剰に踊らされているのではないでしょうか?
だから、私自身は希望や愛、というものに対して鈍感でした。
でも、これって他人に与えられるものではないと思うんです。きっかけは他人だけれど、それをどう育むかは自分次第。
周囲や時代に流されないようにするには、それだけの信念が必要です。
もちろん、流されてもいいと思う。それだって人生だし。

でも、今まで流されまくってきた人生は自分のものではなかった。
だから私はこれからの人生は自分のものとして生きていきたい。
大事なことを再認識しました。

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