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自分よりも大変な人がいる、という理由で何かを我慢するのは違うという話

世間が騒がしい。

一人で家にいる時間が増えると、誰とも会話しない日もあるだろうし、みんな気が滅入ってくるんじゃなかろうか。

私はこの騒ぎ云々関係なく家に引きこもっているタイプではあるけれど、それでも普段とは違う緊張感や、インターネットに溢れる負の情報を見て、心がどんどん暗くなる。

そして泣きたくなることだってあるし、愚痴の一つや二つ叫びたくなったりする。

そんな時どうしても頭によぎってしまうのは

「ダメダメ、私より悪い状況の人なんてたくさんいるんだから。これくらい我慢しなきゃ。」

って、そんな思いだ。

日本人の悪い癖。良いことも悪いことも、すぐに他人と比べてしまう。

あの人と比べて自分が幸せかどうか、他人のモノサシで決めようとする。


だけど、それってどうなんだろうな。

無理やり閉じ込めた気持ちは浄化されない

そうやって湧き出てくることを抑えられた気持ちはどこにいくんだろう。

私は弟を病気で亡くしているけれど、闘病中であった学生時代は無意識に自分のことを差し置いて生活することを強いられていた。

失恋して悲しい時、
学校で嫌な目にあった時、
褒められて嬉しかった時、
自分の夢が見つかった時、

「弟があんな苦しい思いしてるんだから、私は自分のこと考えてる場合じゃない。我慢しないとダメだよね。」

そう考えてしまう癖がついた。

あの頃のいろんな気持ちは、もう誰にも開放されることなく、隠蔽されるんだ。


その気持ちは誰のもの?

感情が湧き出てくることは人間である限り自然なことで、誰のせいでもなければ責める筋合いも毛頭ない。

尿意を感じたらトイレに行って排泄できるのに、どうして負の感情が湧いたら抑えなければいけない気がしてしまうんだろう。

尿意を感じて、

「あの人のほうがもっと行きたいはずだから我慢しないとダメだ。」

なんて思うだろうか。

もちろんそこらかしこで構わず排泄するのはよくないし(日本には清潔に設置されたトイレがたくさんあるし)、感情も同じでそこらかしこに巻き散らすのはどうかとも思うけれど。

肝心なのは、『自分だけはその気持ちを認めてあげる』ってことなんじゃないかな。

感じることそのものは、誰に迷惑かけているわけでなし、誰かと比べて無理に抑える必要なんてない。たぶん。

だってさ、いつだって
嬉しいのは「自分」であって
悲しいのも「自分」なのだから。

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浪川舞(まいどる)

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合同会社PeerQuestの社長でありエンジニア。noteはエッセイみたいな文章が多め。プロジェクトマネジメントのことはこちらに→ https://dev-pm.io/