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つなわたり

小さい頃から「間違ってはいけない」と教わって、それを守ってここまでやってきた。

つなわたりのように、落ちたら終わりだから、落ちてはいけない。


もちろん、間違わなかったことばかりではない。

間違いもしたけど、その時はとても落ち込む。

間違ってしまったことに恐怖すら感じることもある。


でも実際は、間違ってしまうことは人間としてあり得ることで、100%間違わないことは無理なことも頭では承知している。

なのにやはり間違ってしまったことは、自分がちゃんとできなかったことを突きつけられるので、ひどく辛い。


幼い頃は私は従順な良い子で、勉強もできなくはない人だった。

だから、間違える経験が少なかった。(テストは満点ではないけど赤点はとったことなかった)

だからそうやって自分のできなさに直面することも幸い?少なかった。


けど今思うのは、自分が不完全な人間なんだっていうことを幼いうちにわかる経験を何度もする必要があると思う。

そうやって、多少の慣れが幼少の頃にないと、大人になってからの社会の風当たりが強くて耐えられない。

と同時に、誰もが不完全な人間なんだってわかる必要もあると思う。

特に従順に良い子でこれた人たちは社会に出てつまづく人が居ると思う。

大人たちがもっと「完璧な人間」を装うのを辞めればいい。

幼い頃にそういう大人を見ることで「完璧じゃないのが普通」という社会になれるんじゃないかな。

だから、障害差別とか、マイノリティ差別とかもなくならないんじゃないかと思う。


というか、そもそも完全ってなんだろ?

普通ってなんだろ?

よくわからなくなってくる。


生きづらいなと思う人が少なくなる世界に、なってほしい。







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