「ピソ職人新聞社の道標」 第13話
第13話
エラディンは、リアナとジョアンナと別れて、旅を続ける。リアナとジョアンナは同じダダビット車に乗り、ケラスズ城下町に戻って新聞の記事作成をすることになっている。エラディンは自分が乗ったダダビット車と、ギム粉を積んだ貨物車を引き連れて、取引人との待ち合わせ場所に向かう。
ダダビット車の中でガタガタ揺れながら、ブレイドウッド氏のつくったピソを食べた。あのとき食べた美味しいピソの味だ。あの頃と変わらない。思い出すのは痛みと後悔、まぶしい金色の景色だった。
エラディンは勇者時代の失態の記憶を思い出していた。
エラディンはグランディン王の期待のもと、新たなる領土拡大のために進軍していた。エラディンが考える戦術には定評があり、数々の戦いに勝ち続けていた。今回も、敵陣のリサーチをしたうえで、完璧な戦術を立てたつもりだった。敵の隙をついて、進軍するつもりだったが、完全に敵陣にエラディン達の狙いが読まれていて、いるはずのない場所で敵襲を受けた。
油断していたエラディンたちの軍は深手を負い、散り散りになり、指示系統が機能しなくなってしまった。エラディンも追手に狙われていて、命からがら逃げていた。エラディンは馬に乗って逃げていたが、追手が放った矢がエラディンの足首に刺さった。落馬しそうになったが、落馬してしまえば殺されてしまうのは確実だった。痛みに耐えながらも馬を走らせた。森に入り何とか、追手を巻くことができた。足首に刺さった矢は引き抜くことができたが、血が止まらない。また矢に毒が塗られていたのか、全身がビリビリとし、力が入らなくなった。しばらくして完全に力が抜けたあと、エラディンは馬から落ち、そのまま気を失った。
「しっかりしろ」と呼びかける声が聞こえ、顔に水を掛けられた。目を開くと、男がエラディンの顔を除き込んでいた。「立てるか」と呼びかけられたが、それに対して答える元気もない。
男はエラディンが足首にケガをしているのに気づいて、足をつかんで患部をじっくりと見た。「ああ、毒矢が刺さったか。一刻を争う」と言って、男は馬にひかせていた荷車に積まれた薪をすべて取り払い、エラディンを寝かせた。手綱を引き、男は馬を走らせた。
しばらくして馬がとまった。到着した小屋の前で、エラディンは荷台の上に寝かされたままで、男は近くの小屋のまわりを忙しく行ったり来たりしている。「これを飲め」と流し込まれたのが、薬草をすり潰して水に溶かしたものだった。「解毒作用があるらしい」男はそう言って、また小屋の中に入った。動けないエラディンは空を見上げるしかなく、雲一つなく、どこまでも青く晴れ渡っていた。
そよぐ風とさわさわと揺れる草の音を聞いていた。男がエラディンのもとに戻ってくるのを待っていると、芳ばしい香りが漂ってきた。薬草の水が体に聞いていたのか、倒れていたときよりも意識がはっきりしてきた。
「待たせたな。起き上がることができるか?」再び男に尋ねられ、エラディンは腰に力を入れて、上体を起こした。
「これを食え。力が湧くはず」男が板の上に載せた金色に輝く焼きたてのピソを差し出した。
エラディンは、それを口に近づけ、ひとくち噛んだ。最初に感じたのは熱さ、ジンジンとしびれるようなエネルギー。美味しいとかそういうものじゃない。ただ体が求めるように、もう一口がぶりと噛んだ。体がポカポカとする、もう止まらない、勢いにまかせて、がぶりがぶりと噛みついていく。その様子を男は見ている。
「体力回復するか?」
エラディンは口の中でピソをもぐもぐと咀嚼しながら、頷いた。
「ほんとうは、粗熱がおちついた状態で食べてほしいんだがな。そのほうがギムの風味が感じられて、鼻から抜ける香りもいい。まあ仕方がない。急を要する。うまさよりも力の優先度が高かったんだ」
男は、エラディンに話しかけるというよりは、自分に言い聞かせるようにつぶやいた。 その男が、ブレイドウッド氏だった。
取材で聞いた話から時系列を考えると、負傷したエラディンをブレイドウッド氏が保護したのは、ギム畑のピソ―ラを本格的に始める前の時期で、製粉業の合間にブレイドウッド氏が個人的にピソをつくっていたタイミングだろう。
ブレイドウッド氏によって一命をとりとめたエラディンは再び軍に戻る。エラディンのその一度の失態以降、グランディン王の態度はどことなくよそよそしくなった。それまでは、エラディンが考える戦術や戦略に対して、そのまま戦いを進めようとエラディンの判断を信頼していた。だが、この出来事以降、エラディンを戦略家として期待しなくなったのだ。 エラディンは勇者の中でも、力があり戦闘力に優れているタイプでは決してなかった。むしろ、その戦闘力の不足分を頭脳や戦略でカバーしてきた。
勇者の多くは、個の戦闘力に優れているがゆえに集団で戦う戦法をとりたがらなかった。勇者の力の強大さによって戦いに勝つことは多かったが、あまりに無計画に戦いを進めるものだから、一般兵士の犠牲が多かった。そこにエラディンのような戦略家が指揮をとるようになると、効果的で無駄な犠牲が出ない戦い方になった。綿密な敵陣のリサーチをしてうえで、戦法を考える勇者は貴重だった。グランディン王は、その点でエラディンを評価していた。
しかし、そのエラディンが率いる軍がほぼ壊滅状態になり、本人も、軍に戻るまでしばらく安否不明だった事件をきっかけに、グランディン王はエラディンに対する信用を失った。それ以降、戦いの最前線の場にエラディンを派遣しなくなった。それが、エラディンの最初の挫折だった。
それでも、エラディンの頭脳は他の活用の場所があるだろうとグランディン王は考えて、他国との和平交渉役として任命した。力づくで物事を進めるのではなく、したたかに相手の懐に入り込んで交渉していくことができるだろうというグランディン王の期待だった。
グランディン王は、ジャーニマー国が強大な力の王国であるというイメージを他国に植え付けすぎてしまっていて、敵対関係しか生み出せないのは避けたかった。グランディン王の期待に応える形でエラディンが、新興国タランティー国と友好関係を築けたのは、軍を壊滅状態にして失ったグランディン王の信頼を取り戻す大きな出来事だった。グランディン王は、和平交渉役として、タランティー国以外の国とも交渉を進めるようにとエラディンに命じたのだった。
「タランティー国との交渉が成功したのも、キュイニーのおかげだしな……」
エラディンは速いスピードへ流れていく景色を窓から眺めてため息をついた。
車窓から見える景色を眺めるのに飽きて、ふと足元を見てみると、スケッチブックが落ちていた。
「あれ、これは」
拾い上げたスケッチブックは、ジョアンナがいつも使っているものだった。
ブレイドウッド氏の店から二手に分かれて出発するために荷物を仕分けた際に、間違って、エラディンの乗るダダビット車にジョアンナのスケッチブックがまぎれてしまったのだろう。パラパラとめくって確かめたが、ブレイドウッド氏の取材時に描いたスケッチはなかったから一安心した。 取材時のスケッチがこのスケッチブックにまぎれていたら、新聞に入れる予定だった挿絵が入れらくなってしまうからだ。
「ほんとうに、うまいな。ジョアンナの確かな才能だよ」
エラディンは一枚一枚、丁寧にページをめくり、描かれているスケッチを見た。高い場所から見下ろした町々のスケッチが何種類かある。ジョアンナを保護して間もないころの言葉が話せたいときでもよく描いていた構図の絵だった。他には身近な人物たちのスケッチがいくつか。エラディンやジョアンナの顔を描いたものもあったが、一番数が多かったのはフィリッポの顔だった。
そして、最近描かれたのだろう、この取材の旅の直前に行ったケラスズ城のスケッチ。太い柱がいくつか立っている謁見の間、装飾がたくさん施された玉座、書物庫の天井まで届く書棚にたくさんの本と報告書の束が並んでいる様子。
「これは、なんだ?」
ページをめくっていた手が止まった。見たことのないゴブレットのスケッチだった。ケラスズ城のどこかで飾られているものを描いたのだろうか。
見たものをさらっと描いたという印象ではなかった。
ゴブレットは曲線の柔らかいデザインではなく、直線的で角張ったデザインだ。飲み口を上から見ると八角形で、金属のフレームに、すりガラスが張られている。ゴブレットには6分ほど液体が注がれているのがすりガラス越しに見える。黒いペン一色だけで描かれているので、詳細の色はわからないが、ゴブレットに注がれている液体は黒く塗られている。赤ヴァイリーのような濃い色の液体が注がれている。
他のスケッチと比べると、明確な意思のようなものが感じられる。ただ見たものを描いただけではない想いのようなものが描かれているような気がした。
第14話(つづき)
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