「ピソ職人新聞社の道標」 第18話
第18話
タランティー国に入国し、キュイニーがいるという古城までダダビット車を走らせて止めた。ジョアンナ、リアナ、エラディンは古城の中に入り、最果ての地に通じる鏡のある部屋に入った。
そこには、黒いワンピースに黒のハットを被った赤髪ヘアの魔女、キュイニーが一同を待っていた。部屋の壁には大きな鏡が立てかけられている。これが最果ての地へつながるゲートらしい。
キュイニーの姿をみれば、何か記憶を思い出すかもしれないと思っていたが、目のまえにいる魔女を見ても何も思い出さない。しかし、キュイニーは、ジョアンナの姿を見て、「大きくなったのだなぁ」とつぶやいた。
「あなたが禁忌の魔術を使って私たち家族を飛行族に変身させたのですか?」
「いいや、あたしは、きみたちの魔力の出力を最大化させるための薬を調合して赤ヴァイリーに混ぜただけだ。禁忌の魔術を使って飛行族に変身したのはきみたち家族の意志だ」
「それはなぜ?」
「その理由は、きみが直接家族に尋ねたほうがいい」
「飛行族は言葉が話せないんじゃないの?」
「この世界ではそうだが、最果ての地の寺院では、意思疎通がとれるようになっている。あたしから話をきくより、家族から直接話をきいたほうがいい。準備はできている。さあ、いこうか、最果ての地へ」
キュイニーが呪文をとなえ、鏡に触れると、部屋を映していた鏡面が灰色になった。キュイニーに先導される形で一同は鏡の中に入った。
鏡を抜けると鬱蒼とした森だ。湿度が高いのか蒸し暑い。キュイニーの後をついていく。
「ここが最果ての地?」ジョアンナがキュイニーに尋ねる。
「そのとおり、ここはもう最果ての地の領域だ。道なりに進むと白い建物が見えてくる。そこが最果ての地の寺院だ」
「エラディンさんは、ここの来たことがあるのですよね?」リアナがエラディンに尋ねる。
「ああ、そのとおりだ」
「エラディン、さきに伝えておくが、寺院の中に入れるのはジョアンナとあたしだけだ。きみたちはここまで同行してきてもらってすまないが、寺院の外で待っていてほしい」
「それはなぜだ?」エラディンが尋ねる。
「ジョアンナと家族が話すためには、他の人が寺院の大広間にいると意思疎通がとれないのだ。魔術の結界が張ってあるからな」
鬱蒼とした森を抜けると白い建物が現れた。
「では、ここで、あたしとジョアンナで寺院に入る。きみたちはわれわれが戻るまで待ってほしい」
キュイニーが寺院の扉の取っ手をつかんだときに、ふと思い出したように振り返った。
「エルフィー族のお姉さん、この寺院の外をまわるようにして進めば、湖にたどりつく。湖沿いを少し歩いたら湖面に突き出した桟橋がある、そこに預言者がいるから会いに行ってもよいと思うぞ。その預言者はエルフィー族の老人だ。エラディンが場所を知っているから連れていってもらえばいい」
いつものようにリアナはフードを被っていたから、キュイニーにエルフィー族だと正体をばれていたことに驚き、「あ、はい」と答えるしかなかった。
「さあ、家族との再会だ」
キュイニーは扉をひらき、ジョアンナの背を押して寺院の中に入った。
寺院の中はヒヤッとした空気に包まれていた。蒸し暑い外とはまるで別空間だった。白い大広間はぼんやりと光っている。
キュイニーが大広間の奥にある祭壇を指さした。
「家族が、あの祭壇に待っている。あたしはここにいるから」
キュイニーは入口付近で待つらしい。ジョアンナはひとりで先に進む。
祭壇は他の広間より数段あがったところにあり、そこに3人の人影があった。
近づいていくと、3人の顔が見え、確かに父、母、兄だった。3人の顔をみると、とたんに失われていた記憶が戻ってきた。ずっと存在を忘れていた家族の顔だった。3人もジョアンナの顔を見て、はっとした表情になった。
ジョアンナは祭壇に続く段差を上っていく。
「ジョアンナかい?」沈黙をやぶり最初の一声を発したのは母だった。
「母上!」
抱擁しようと母親に近づくと、大きく出っ張った胸に、手があるところに立派な翼があることに気づき、飛行族の姿なのだと一瞬戸惑い、立ち止まった。
ジョアンナの戸惑いに気付き、母親は少し傷ついたような切ない表情をした。
「すまないね。怖がらせる姿をしていて……」
母親の隣にいた父親が謝った。
「……そんなことっ。わたしのほうこそ、同じ姿になれなくてごめんね」
自然と口から出た言葉だった。
「いいや、禁忌の魔術に手を出して、飛行族になろうと考えた父さんの決断がまちがっていのだ」
記憶が脳内に流れていくのをジョアンナは感じた。
「いいえ、わたしが飛行族になりたいといったのがきっかけでしょ? 今思い出した」
「そうだ、お前が、飛行訓練が苦手だから、いっそのこと翼があればいいのにねって言ったんだもんな」
母親のとなりにいた兄も言った。
「そうだった。わたし、箒に乗るのがうまくなかったんだ」
「あなたはまだ小さかったものね。そこまで魔術がうまくないのも、仕方なかったのよ」
母親の声は慈愛に満ちた温かい響きだった。
ジョアンナの家族は物に魔術を込めて浮遊させるのが得意な一族だった。浮遊術を応用させると、浮遊させた物に乗って移動する飛行術を使える。当時、ジャーニマー国の軍が、ジョアンナ達家族を含めて魔法族を脅威の勢力として殲滅させようと迫っていた。ジャーニマー国の軍に見つかれば、殺される可能性があった。ジャーニマー国の軍の部隊によっては捕虜として捕まえるのではなく、惨殺する冷酷な部隊もあったという。
「切羽つまっているときに、助けてくれたのがキュイニーさんだったんだ」父親が言う。
「キュイニーさんが、われわれが住む場所の最寄りのゲートを開いて私たち家族をこの最果ての地の寺院に導いたのよ」母親が言う。
「幼いジョアンナをふくめて、家族全員がこの危機を免れるにはどうしたらいいかと考えると、魔術が安定しない子どもらが飛行術で逃げるのは現実的ではなかったんだ」父親が言う。
キュイニーがジョアンナの家族に提案したのは、難を逃れるために、在世を捨てて最果ての地の寺院に出家することだ。最果ての地の寺院は在世にいる人が長く滞在できる場所ではなかった。
「まだ子どもたちは幼いのに、この閉ざされた世界で静かに暮らすのはあんまりだと思ったの」母親が言う。
ジャーニマー国の軍に見つかり殺されるかもしれない危険と、在世を捨てての出家生活、どちらにするかという究極の選択を迫られているときに、幼きジョアンナが意外な一言を言った。
「翼があったら飛んでいけるのにね」
当時、空を飛ぶ鳥を眺めるのが好きだった幼きジョアンナがポロリと言った言葉だった。
「それは第三の選択肢だね。飛行族になることで、タランティー国の保護を受けられる。タランティー国は魔術に寛容な国。もし一家全員で飛行族になるなら、一緒に保護してもらえる」キュイニーが言った。
「でも、飛行族に変身するとなると禁忌の魔術を使うことになるのだろう?」父親が言った。
「そうね。禁忌の魔術を発動してしまえば、元に戻ることができない。魔法族だった記憶もほとんどなくなるかもしれない。おすすめはしないわ」
「家族全員の命の危険にさらすか、出家するか、飛行族に変身するか、その三択ってこと?」シビアな選択に母親が顔を覆った。
父親も険しい顔のまま黙りこくっている。
家族が最果ての地にいられる制限時間が迫っていた。
「ねえ、わたしたち自由な鳥になれるのでしょう?だったら、鳥になって大空を飛びたい。誰かに追われ続ける生活はもう嫌だ」幼いジョアンナが言った。
「わかった。禁忌の魔術を発動しよう」父親が決断した。
「禁忌の魔術を使うのね。わかったわ。その成功率が高まるようにサポートしましょう」
キュイニーは、一時的に魔力が上がる調合薬をまぜた赤ヴァイリーを用意した。祭壇の引き出しから銀のゴブレットを4つ取り出し、赤ヴァイリーを注いだ。また別の引き出しから黄色ピソを取り出し、ナイフで一口サイズに切った。
「アルコールが回りすぎると魔術の精度がおちるから、さきにこのピソを食べて」
キュイニーの指示のとおり、一家はピソを食べた。
「魔法族の始祖のマアリア様、われわれ魔法族を敵の脅威からお守りください」キュイニーが祈りを唱えた。
「では飲んで、術を唱えて」
キュイニーの合図とともに、一家は銀のゴブレットから赤ヴァイリーを飲みほして禁忌の術を唱えた。
一家は金色の光とともに、変化していく。両手から羽毛が生えていき、腕のかわりに立派な翼になり、胸部は大きくふくれた。
一家が飛行族に変身し終えたのを見たタイミングで、最果ての地につながるゲートが閉じ、一家とキュイニーはもといた場所に戻ってきた。
馬のいななきが聞こえ、ジャーニマー国の軍の部隊がこちらにまで迫ってきているようだった。
飛行族の一家は翼を広げ、空へ飛び立った。4人の飛行族は父親を先頭に隊列をくんで空へ飛び立っていく。
軍隊が「いたぞ!あそこだ!上空に飛び立つ奴らを狙え!!」と叫んだ。火のついた矢が放たれ、一番後ろにいたジョアンナの翼に命中した。
しかし、ジョアンナは矢が刺さったまま高度をあげて飛んでいく。
キュイニーはその様子を見つめていた。矢がささったものの、飛行しつづけられるようだ。そのまま逃げ切ってと祈るように遠ざかる飛行族の影を見送った。
しかし、矢についていた火が翼に燃え広がっていき、4つの影のひとつがしばらくしてから地上に落ちていくのを見た。
「それがわたしたち家族の真実だったのよ」父親が言った。
「あなたは、墜落してもう死んでしまったものだと悲しみにくれたわ。まさか生き延びて、ここまで大きくなっているとわね」母親が涙を流している。
ジョアンナは、また一歩母親のもとに踏み出し両手を開いて近づいた。 母親も両翼を広げた。母親の胸に飛び込んだ。出っ張った胸のせいで、ジョアンナは母親の背中まで手をまわすことができない。かわりに、母親は大きな翼で娘を覆った。母親のぬくもりの中でジョアンナは大声をあげて泣いた。
「まだ時間がゆるす限り、お互いの世界でみてきた話をしようじゃないか」父親が言った。
キュイニーに言われているが、最果ての地から戻ると、再び、飛行族の家族とは言葉によるコミュニケーションがとれないらしい。
「かわいい娘、ジョアンナよ。鳥になりたいと言っていたな。空を飛びながら話をしようじゃないか」
「え、でもわたしには翼がないから空を飛べない」
「兄上の背にのせてもらうがいい」
祭壇の横にある扉から、ジョアンナ達は外に出て、大空へ飛び立った。
「どうだ、かよわき妹よ。空からの眺めは」兄が言う。
兄の背に乗って風を感じながら上空へ浮上する。横には父と母が一緒に飛んでいる。
「お兄ちゃんたち、いつもこの景色をみているんだね。すごくきれい」
寺院の上空をとぶと、エメラルドブルーの湖が広がっているのが見えた。湖面が太陽の光を反射してキラキラしている。鬱蒼とした森の向こうには町が見えた。遠くには金色に光るギム畑も見える。美しい景色だ。
空を飛びながら、ジョアンナ家族は、わかれてから体験したことをお互い話した。飛行族として各地の空を旅しながら、タランティー国へ世界の状況を報告するという偵察任務に家族はついているらしい。またジョアンナは、エラディンに保護されてから、忘れてしまった言葉を覚えなおし、最近はピソ職人新聞の記者として働いているという話をした。
ジャーニマー国側で、生活していることについて、家族は驚いていたが、そんなことよりも、娘が無事に生きていることがなによりも重要だった。各地の取材へいくときに、ダダビット車に乗って移動することもあると話せば、地を走るよりも、空を飛んだほうが移動時間が短くなるのにねと母親がつぶやいた。
「それはいい考えだね。わたしの取材の旅にお母さんたちの飛行族の力をかりれたらどんなにいいことか」
空中散歩をしながら、お互い話すことが尽きるまで飛んでいた。真上にあった太陽が地上に沈んでいき、あたりは茜色に染まった。
寺院にもどり、ジョアンナは父、母、兄とあつい抱擁をかわした。
「そろそろタイムリミットだな」
抱擁を交わし終えた家族のもとにキュイニーは近づいた。
ジョアンナとキュイニーは寺院のもと来た扉から出た。エラディンとリアナが心配そうにジョアンナを見た。
ジョアンナははじけた笑顔で「帰ろう」と言った。
第19話(つづき)
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