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何を伝える、どこまで伝える



こんにちは。明です。

今月、とあるイベントを企画していて
今はそちらの優先度が高いので
noteから少し手が離れています。

そちらの準備もまだ継続中なのですが、
今日はみなさんと一緒に考えたいことがあって


それは、
目に見えないものを伝えていくうえで
何をどこまでどう伝えるかってことです






先日ね、
パートナー君がある施療家さんの治療を受けてきたんだけど、彼が帰宅する前からなんかザワザワするものがあって


帰宅後、話を聞いてみると、

「肩がすごい柔らかくなったんだ!
 なんかココに憑いてたらしい」

「ふーん、その“ナニカ”は何だったの?」

「え、わかんない・・・」

「そっか」

って会話になりました。




これはあくまでも私の考えですが、

「憑いてたよ」だけ言うのって

少し無責任でないかい?

と思ってしまうんですよね。




例え話、

もみほぐしとかで、ひたすら、
「いや~お客さんヤバいっすね~」
しか言わない人ってたまにいるじゃないですか

固くなってしまう根本原因とか
セルフメンテナンスとか
安心や自信に繋がる空気とか
そういうものはなくて、

ただ「自分の身体、ヤバいんだ…」
という情報だけが刷り込まれていく

そしたら、

  自分の身体=よくない
       ↓
  でも、自分では対処できない
       ↓
  この人がいないと
  自分の身体はよくならない
 
みたいなループに入っていきませんか




「憑いてる/た」だけを言うのも
これに似ていない?って思うんだけど

 
  自分、憑かれるんだ…
      ↓
  でも、自分では対処できない
      ↓
  この人がいないと…(以下略)





これがね、例えば、

本人もそれ(霊体の異変)に敏感で、本人もある程度は自分で対処法を知ってる人が、“今の自分にはセルフメンテナンスでは対処しきれないから”って意味で受けてるのなら、その会話でもいいのかもしれないよ

だけど、
日常的に靈的なものの影響を大きく受けずに生きられる人に対して、不安になる要素を付け加える必要あるかい?って、私は思うんだ。


たとえその異変が
憑き物によるものだったとしても、
緊急度や危険度が低いものなら、

「ここの巡りをよくしたよ。
 こういうメンテナンスするといいよ。」と、

憑き物の話題はあえて出さずに、
清めにも繋がるメンテナンスを
サラッと伝える方法もあるんじゃない?


「自分は憑かれやすい」
という思いの中で日々を過ごすのか

「ここが滞りやすいらしいから、
 教えてもらった方法で整えよう」
という思いで日々を過ごすのか、で、

その人が引き寄せるものは
全く変わってくるよね



もしくは、
憑いてることを伝えるのであれば、

憑かれるという情報を相手が聞いても尚、
安心できたり対処できるだけの情報も
同時に伝えていこうよって、私は思う。






私も以前、
軽いパニックを起こしたときに

先生からそのとき私の側にいた
靈的存在のお話を聞いたことがあるけど、

・どんな人で
・どんな想いが共鳴してて
・こういう症状に影響してるかも
・こういう風な捉え方があるよ

ってお話をしてくれたことが
とても有り難かったです。

さらに、
わからない部分については、
わからないと言ってくれたことが、
私にとっては信頼に繋がりました。



そのお話がその通りなのかどうかは、
正直、私にはわからない
です。

もしかすると、
先生にはもっとキツイものが視えていて
でもそれは私には耐えられないと判断して
あえて話を柔らかくしたのかもしれない

もしかすると、
わからないと言った部分も
今はタイミングじゃないという理由で
あえて伝えなかったのかもしれない


だけど大事なのは
それが本当かどうかということ以上に、

それらの言葉によって
相手が何を信じるか、
だと思います


「自分はヤバい」
という思いが強ければヤバイ方向にいくし、

「自分は守られているんだ」
という思いが強ければ自然と守られていく




相手にどんな世界に進んでほしいか、

それを基準に言葉を選ぶ

そんな人でありたいです。




読んでくださり
ありがとうございました。


PS.イベントの方が落ち着いたら、
また皆さんの記事を読みに伺いますね😊

素敵な梅雨をお過ごしください☔🐸



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