不登校3

学校側の対応への不満(仕方ないことと今は思っているが)ばかりが多くなりがちだけど、こちら側もやっちまったなぁということはある。

お稽古のメンバーが変わってた!


小学校終わって学童に行って、そのあとは平日はお稽古ごとに行かせていた。お稽古ごとがある場合は学童は早退させていたので、保育園のときよりもむしろ楽になっていると考えていた。

今考えると慣れない生活の中ではキツかったのだと思う。一応言い訳をすると、クラスでともだち0からスタートしていたためサードプレイスとしてこれまで長年やっていたお稽古ごとは良いように作用すると考えていた。
が、これも休んでから認識したが、不登校きっかけに行き渋りを見せたお稽古ごとは4月から新たに入った子が多かったり、時間帯が変わったりして娘にとっては学校以外でも新たに関係性を作らなきゃいけない場所が増えていた。

そりゃ、疲れるよね。

本人がやりたいと言い出したことを習わせていたので安心していたこともある。また、節目節目で辞めてもいいことを伝えていたのだが、不登校になってから「私がすきなものなのだから、辞めてもいいって言わないで。今はお休みしてるけど、私のペースで行くから」と言われた。

確かに…。でもね、お休み中もお月謝は発生してるのよ…

とは言えない。自分の気持ちを押し込んでも親へ気遣いをする特性があると思われるので。。

「お友だちになりましょ」という呪いの言葉

もう一つが、「お友だちになりましょ」発言。私の幼なじみのママに、その発言は言っちゃだめなのよ!と諭された。
彼女の孫(つまり、私の幼なじみの娘)は娘と同い年なのだが、ハーフであることもありインターに通っている。「一緒にあそぼ!(play with me)」という英語はあっても、「お友だちになりましょ」は英語にはない。そもそも、友だちって「お友だちになりましょ」と言ってなるものではなく、遊んでいくうちに友だちになるものでしょう。
さらに言い方としては上から目線にも聞こえる。子どもだから、上から目線だと思わなくても違和感のある発言で、それを聞いてまわりの子も引いてしまうことがあったのではないか?と。

そりゃそうだ!!!

保育園からの友だちが誰もいない娘に家族は「お友だちになりましょ!」と声をかけるアドバイスをした。その他の大人も「ともだち100人作ればいいんだよ」とか「声掛けてて偉いね!」とか言ってたし、私もそれは社交的な娘だからこそできることとして褒めていた。

が、不登校になってからゆっくり話すと、娘は「お友だちになりましょ、と言わないと声を掛けられない。ともだちにはなれない」と強迫観念のようなことを言い始めた。
私からそれはママが間違っていたと謝罪し保育園の友だちや近所の友だちを例にあげて、友だちというのは一緒に遊ぶことでできていくし、仲良くなることを伝えた。「お友だちになりましょ」よりも「あそぼ」のほうが3文字で言いやすい、という謎理論も加えたが納得はしてくれたようである。
まぁ、口癖になってるからまだわからないけど。

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