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完璧な状態には魔が差す〜魔除けの逆柱〜

こんにちは、彰子(しょうし)です。

今日の東京は雨が降ったり止んだり。
秋雨前線なのか、最近は曇や雨模様で、
洗濯物がすっきりと乾かない日が続いています。

先日、吉方位旅行として、日光東照宮に参拝致しました。
東照宮へと通じる鳥居は、日本古来の荘厳さを感じさせるものでしたが、
本殿や門は、色とりどりの豪華な装飾が施され、
その中には随所に獅子や龍が見られました。
獅子や龍は、寺社仏閣を含めた歴史的建造物には良く見られますが、
東照宮のそれらは格が異なるといいますか、
必ずここを守ってみせる、と言わんばかりの
力強いエネルギーを感じました。

本殿や門は、現在でもこれほど鮮やかで威厳ある佇まいであるのに、
建設当時はいかに人々の心を虜にしただろう、と
400年以上前の情景を想像し、思いを馳せました。

そのなかで印象的だったのが、
陽明門の逆柱です。
東照宮本殿手前の陽明門。
その柱は12本あり、「グリ紋」と呼ばれる渦巻き文様が刻まれていますが、
その柱のなかに1本だけ、その文様が逆さま(下向き)になっているものがあります。
これは意図的に施されたもので、古来より、

『完璧な状態には直ぐに魔が差し始める』

とされ、
立派なものであるほど意図的に文様の向きを変えたり造り残しをしたそうです。
そのため、この逆向きの彫刻も、
陽明門が未完の状態であることを示し、
倒壊を防ぐために施されたと考えられているそうです。
このように、未完成の状態であれば、倒壊を防ぐことができる。
「崩壊を防ぐ魔除け」とされているようです。

私はこの話に、現代の自分にも通じる奥深さを感じました。

『完璧な状態のものにはすぐに魔がさし始める』

現代の私達は、
何事にも完璧を求めてしまう傾向にないでしょうか。
スキのないように、責められないように、
完璧に仕上げることに固執していないでしょうか。

私はまさに、そういった考えをする傾向があります。
何かに付けて、他人と比べてしまう性分です。
あの人よりも点数が悪かった、
あの人よりも褒められた、
あの人よりも良いものを持ちたい…

私は昔からそんな自分が要所要所で顔を出し、
そのたびに、出来ていない自分、不完全な自分が炙り出され、
その部分にだけ目が向いてしまい、
自分を責めて辛い思いをしてきました。

だからこそ、比べる必要がないほどに完璧を目指してきました。

そして、完璧さを手に入れる。
しかし何故か、それを手に入れた途端、
急に興味が衰え、
大したものではないように感じてしまう。
そのため、今度は完璧さいかに崩すかを考え始めている。

まさに、
『完璧な状態のものにはすぐに魔がさし始める』
という状況です。

一方で、全てを完璧にすることは到底不可能です。
そのような場合は、
完璧でない自分を責め、
完璧にできなかった自分をまた責め、
自分にOKを出すことなんて全くできませんでした。

そうして完璧を目指すがあまり、
完璧になってもならなくても、
自分で自分を苦しめることには変わりません。

では、どうしたらその苦しさから逃れられるか。

あえて自ら別路線にはみ出し、
比較の対象から外れるような行動をとることも一つですが、
この魔除けの逆柱のように、
「あえて完璧にしない、目指さない」ことで、
逆に筋交いの強い柱ができるのではないかと感じました。

そしてそれは同時に、
完璧ではない自分を受け入れることにも繋がるように思います。

どんな自分も自分自身。
完璧を目指す自分も、
そうなった自分も、
完璧ではない自分も、
自分の一面であることには変わりありません。

開運を願った吉方位旅行でしたが、
大事な気づきをもたらしてくれた、
貴重な旅時間となりました。

自分を高めようと前向きになることは素晴らしいこと。
でも、もしそこに苦しさや辛さを感じたなら、
魔除けの逆柱を思い出し、
あえて完璧さを目指さないという方法もあるのでは。

彰子(しょうし)

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