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平安のプリンセス 中宮彰子さんとは③

みなさまこんにちは、彰子(しょうし)です。
今日の東京も曇っています。
10月ってこんなに曇りの日が多かったかな?と思うほど、
スッキリとしないお天気の日が続いています。

今日も彰子さんの魅力について、お話していきたいと思います。

私が彰子さんに魅了される3つのポイント
①プリンセスでありながら思慮深く愛に溢れた女性である点
②国母として政治手腕を発揮された点
③華麗な文芸界の形成に寄与された点

前回は①プリンセスでありながら思慮深く愛に溢れた女性である点
についてお話しました。
 https://note.com/mai_o223/n/n2895327708b2

今回は
②国母として政治手腕を発揮された点
についてお話したいと思います。

彰子さんの夫、一条天皇には、皇后定子さんとの間に生まれた第一皇子の敦康親王、彰子さんとの間に生まれた第二皇子の敦成親王、第三皇子の敦良親王がおられました。

定子さんは若くして亡くなったため、敦康親王は彰子さんが養育されました。(前回の記事参照)
本来であれば、後継ぎは第一皇子ですが、藤原道長の思惑により、第一皇子の敦康親王ではなく、彰子さんの息子の敦成親王となりました。

一条天皇が譲位された後、三条天皇が即位されました。
しかし三条天皇はほどなくして病気を理由に道長から譲位を促され、
敦成親王が即位されました。
1016年、齢8歳の後一条天皇の誕生です。
道長は後一条天皇のもとで摂政に就任し、最大権力を掌握します。
しかし翌年、道長は出家し、その座を彰子さんの弟でもある息子の頼通に譲ります。
このとき、頼通も若干24歳。
彰子さんもまだ28歳という若さでしたが、
後一条天皇の母として、また、頼通の姉として藤原一門を統率し、
弟たちと協力して摂関政治を支えました。

そのため、彰子さんは国母と呼ばれていました。

平安のプリンセスでありながら、政治手腕も発揮された彰子さん。
現代でいうと、「上皇妃 兼 官房長官を担う小学生のママ」といったところでしょうか。
(あくまで私のイメージです)
母として天皇を支え、さらに総理大臣(のような立場)の弟を支える。
そして、プライベートでは7歳の息子の母。
夫には先立たれていたため、ワンオペ・・といいながら、お屋敷には沢山のお手伝いさんがいらっしゃいましたが(そこはスーパーセレブ)。

現代の私たちから見ても、やはり敏腕女性、カッコいいキャリアウーマンだった彰子さん。

アラサー女性という若さ、
幼子を育てながらも、政治にも藤原一族の統率にも尽くした彰子さんは、
やはり尊敬でしかありません。

いかがでしょうか。
私目線で語り尽くしましたが…
少しでも彰子さんの魅力が伝わっていれば幸いです。

明日からの週末、
行楽に出かける方も、ご自宅でゆっくりとされる方も、
家事やお仕事に追われる方も・・
平安時代にも、現代の私たちも憧れるような
敏腕女性がいらしたことに、ちょっと想いを馳せてみませんか。

良い週末をお過ごしください。

彰子(しょうし)

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