いる無駄いらない無駄

知り合いに本があまり読めない。好きじゃない。と言う人がいた。
結構本を読むタイプの人に思えたので、意外だった。
その人が言うには、「本って何百ページとかあるけど、必要なことってほんの数ページしかなくて、それ以外のページを読むのが無駄に感じる」そういうことだった。

フォトリーディングの講座を私は受けたことがあるのだが、そういった速読の世界では、本は別に全部読まなくてよい。必要な数ページを読めばそれで読んだことになる。全部読むものという思い込みを捨てる、そう教えていた。

それはそれでよくわかる。
本屋なんかで立ち読みする時は、たいていそうやってつまみ食いして読むし、それで十分と思う本もいっぱいある。
一方でその全てを含めて読んで良かったと思うものもいっぱいある。

人に例えると、ちょっと知り合って長居はしなくていいけど、そこで案外嬉しい情報をくれてありがとう、という場合と、その人の傍にいることがすでに心地よくて、一緒に過ごす時間の中で、なんでもない雑談も楽しみ、そのうえ超一級の情報まで得てしまって、あーやっぱり良かった、という場合。
超ザックリ言うとそんな違いだろうか。

こないだ別の知り合いはブログについて話をしていた時に、検索の上位に挙がってくるのは、人が食いつく情報を連ねたような種類のものたちばかりで、なんか寂しい、なんか違くない?と感じるというようなことを言っていた。

人は自分が欲しい情報を得るために検索するし、何でもない人の話を聞いたり読んだりする時間を持つほどヒマじゃないし、自分に置き換えてもそれはそうだよなーと思いつつも、その人が言わんとすることもよくわかる。
しかもその人は、私のこのnoteのような類のものに対し好意的な意味でそういう言葉を放ってくれていた。

きっと好きな無駄と本当にいらない無駄がある。
その基準は人それぞれで、必要なモノも無駄なモノもそれぞれの基準で取捨選択されて、色とりどりな人ができていくから面白い。

無駄の話をすると思い出すのが、ずっと昔、結婚のご挨拶に親戚の家に伺った時に叔父さんが話してくれたこと。
そこのお部屋にあった床の間やほんの小さな小窓を指して、
「こういうのを無駄と見る人もいるかもしれないが、こういう無駄がないと本当に味気ないものだ。この窓だって、なくても良いように思えるかもしれないが、涼しい風を取り入れて、家の中の空気を良くしてくれる。一見無駄に見えるようなものが私たちに潤いを与えてくれる」

どういう話の流れだったか、全く覚えていないのだが、この時に叔父さんが話してくれたことが、こうして今もとても印象強く心に残っている。

そうそう、最近私はまた生活の中の小さなことを大切にしていこうと心を入れ直そうと思っているところだった。
それについて思った時に、自分が抱えている悩みは全て小さなモノたちの集合体で、そのちっちゃくていっぱいあるモノたちを一つずつ、要るもの要らないものと、取捨選択していくことなんだと思った。

そして、その中の小さいけれど大切だと思う事のいくつかを、私は改めて取り上げたということなんだなぁという気づきを得た。
それは例えば、夫にちゃんとおざなりでない笑顔を向けた挨拶をしようというようなことだった。

私にとっての必要な小さなことたち。
そして必要そうに見えてたけど、本当に必要?というものもある。それをひとつひとつきちんと検討していこう。
これってよくお片付けで聞く話と全く一緒だなぁ。
そう、どちらもまだ私は中途半端だった。。


私にとっての必要な無駄たちが集まって私の心地よさが出来上がるはず。
私の居場所作りは、心もお部屋もまだまだ続く。


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