私を赦すパジャマ
パジャマを買った。
上質なものに包まれた暮らし。憧れる。
それは外に着ていくお出かけ着というよりは普段の生活の中で何気なく使うもの。そういうものが上質であることってとっても贅沢だ。
実際の生活はもちろん、全然そんなんじゃなくて、だからこそ憧れているのだけれど、そういうものにお金を出そうと思うと結局どうしても立ち止まってしまう。
そうして安価なモノたちに囲まれた生活は続いていく。
自分の欲しいものを挙げる時、いつもパジャマが出てくる。
よっぽど寝ることが好きだからか、なんか可笑しい。
質の良いパジャマで寝る生活、いい!
以前、自分がこれからどうしたいのかわからない、自分の憧れの生活に近づきたいのにどうしたらいいかわからないと言ってグルグル沈み込んだ状態でコーチングを受けたことがあった。今年の頭だ。
今何をしたら嬉しいか?みたいな問いがあって、
「じゃあ今まず簡単に出来ることはパジャマを買う事??」
とその時の私から出てきた。なのに、
「じゃあMaiさん、パジャマ買いますか?」
と言われた時、なぜか私は怯んだ。
欲しいと思っているのに、ちょっと贅沢なパジャマを買う事に抵抗がある自分というものに気が付いた。
実は、そのちょっと前に片付けコンサルタントの方と色々お話させて頂く機会があり、気になることがあった。
「私、ジャブジャブ洗えるお洋服を買ってしまうんです。お洋服の手入れに神経を使う手間が嫌なんです。」
と言った後、コンサルタントの方から、
「もしかするとMaiさんはご自分をジャブジャブ洗うお洋服のように扱ってませんか?ご自分に対する丁寧なメンテナンスを億劫がっていませんか?モノの扱い方と自分の扱い方はリンクしているものなのです。」
というフィードバックをもらった。
その時は「そんなことない。私は自分を大切に扱っている!」と、その言葉に反感を感じたものの、何かどうしてもそれが心に引っかかって残っていた。
「あー、私は自分にそのちょっとした贅沢を赦せないんだ。その資格がないように感じているのかな。。私がジャブジャブ洗うお洋服ばかり着ているのとそれはもしかして繋がっている??」
私にとってパジャマに1、2万のお金を払うことは確かに贅沢に感じることではあるけれども、出せないお金ではない。
できないことじゃないのに、止まる。
しばらくその気持ちと向き合った後、
「私にその資格を与えてみよう。私はそれをしてもいいんだ。自分が欲しいもの買おう」
そうしてその後、お気に入りのパジャマを見つけて買った。
2月か3月の事だったと思う。
最近また、私は自分を大切にしょうと思っているはずなのに、その足がついつい止まっていることに改めて気が付いた。
自分を、そして相手を承認したい、そういう世界に行きたい。
でも何よりまずは自分を満たし、認めることから始めないと私はいつまでもグルグル同じ場所を回り続ける気がした。
そしてやっぱりパジャマを買った。
夏パジャマがずっと欲しいと思っていたのに、買えなかったのだ。
今回は実は結局そんなに高価なものではなかった。
探したけど、どうしても上質なお気に入りを見つけられず、お手頃ではあるけれども割と良さそうな品に辿り着いた。
届いて見たら、思った以上に可愛く生地も心地良い感じで嬉しくなった。
今月は「私わがままキャンペーン月間」にしようと思っている。
その第一歩を踏み出したわけだ。
またパジャマから(笑)
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