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My Home

今日は私が昨年9月から今年の3月まで共にコーチングを学んだ仲間との同期会だ。 私にとっては家族のように感じる存在。
私は親密性が高いせいか自分が安心できる仲間をすぐ家族のように位置付けてしまう。

半年の間、週に1度オンライン上で顔を合わせ、課題に沿って自分の状況、進捗を語った。コーチングは自分自身受けていた経験もあって、なんとなくこういうものなんだろうなという感覚はあった。
コーチがクライアントと接するスキルや姿勢について講義を受けるたびに、生活の中で自分がどのように人ととコミュニケーションをとっているのか、振り返り考えさせられた。
とういうか常々そういうことを私は振り返っている方だった。もっと受け止めるべきだったとか、話を遮っちゃったとか、あの時余計なことを言わなければ良かったとか。お得意の内省全開という訳だ。
ただそういったことを改めて考え、自分のあるあるを話すことが、自分自身をまた見つめ直すことになった。そう、頭の中だけでなく外に話すということが大きかった。

代表の塙さんが開催しているコーチングプレイスというコミュニティでの彼の講座はゆるくをモットーにされていて、どんなことでも大丈夫!と受け止めてくれる承認、承認、承認という何より安心に満ちた場だった。
安心感を得られることで、私の親密性が生き生きと喜び、私の心は緩んでいったようだった。心が緩んだという表現、何よりその言葉がフィットする。

通常、他人と接する場合、私の場合心のどこかが緊張している。表から見たら、ニコニコ楽しそうにリラックスしてるように映る場合もきっと多いのだが、私の奥の方では実際そうではない。親しい人との気の置けない間柄であっても何か心の核心は実はギュッとしていることもあるのではないか、考えてみるとなんとなくそう思う。

心が緩んだというのはそのギュッとしてたその部分の事だったのだと思う。
コーチとしてのクライアントへの質問の仕方、姿勢の話から、みんながそれぞれ自分が持っている悩みやぶつかっている問題などを安心に満ちた場だからこそ、だんだん話すようになっていく。そしてそれぞれの奮闘、がんばり、夢、上手くいってることなどを共有しながら、自分自身を見つめていく。

そうしていくうち私の中のそのギュッが緩み、なんだかわからない感情がこみあげ、なんだかわからない涙が溢れるようになった。
決定的だったのはドリームツリーという自分の夢をツリーに描いて、自分が最終的にどうありたくて、目的、ビジョン、目標、などといった自分の生きたい人生を言語化、ビジュアル化するというワークにさしかかった時だった。
みんなにはなんだかわからないけど、こうなんです。と本当に自分でも恥ずかしいやら可笑しいやら、でも隠すこともできず、そのまんま見せるしかなかった。
みんな本当に心温かく受け止めてくれた。
半分泣きながら自分がどうすると涙が出るのか話した。
自分が夢を語るのにブロックとなるものがそのギュッとした中にあったという事なんだと思う。

もうそこからはクラスの中では完全泣きキャラポジション。
みんなに温かく見守られながら、自分の課題を話し少しずつ解く作業をしていった。もちろんそんな簡単じゃない。未だその道半ばにいる。
でもその講座での最後2か月は自分のスタート地点を自覚したような、ここから前に進めば大丈夫と進み出せたという自信をもらえた時間だったように思う。

そうこうしながら、最後はみんなに対し心からの感謝を持って卒業を迎えたのだった。本当に素晴らしい仲間たちで、卒業後もずっと会いたいと思っていたのだが、それぞれが生活のペースが変わっていくこともあり、定期的な日時を定めることが難しいように感じ、何回か機会は持ったのだが、どう継続できるものかと思案し、思い切って今回はみんなに自分から声をかけてみた。
相変わらずこういった、初動が苦手なだけにこんな事もこの声をかけるということは私にはちょっとしたチャレンジだった。実はセッション練習のネタとして話させてもらったりまでした。でもこの小さな一歩を進めていることが、私の前進であることは間違いないのだ。そしてこの前進の機会をもらえたのが、今日会う仲間たちと過ごした時間だった。だから心のマイホーム。

さあ、今日は私の心の家族たちと楽しい時間を共有し、また次への一歩を進めていきたいと思う。

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