第4回毎月短歌(AI歌壇)石村まい選


はじめに

石村まいはパンが非常に好きなので、各選にパンの名を冠した名前を付けさせていただきました。
パンが苦手な方はごめんなさい。そっと視界からはずして読み進めていただけますと幸いです。

※全部門、作者名は伏せた状態で、作品のみを拝見して選をおこないました。
※敬称略で発表させていただきます。


10月の自選短歌部門

応募歌数がもっとも多かった部門。
特選を1首、並選を1首、佳作を4首選びました。
自選なだけあって素敵な作品ばかりで、絞るのがむずかしかった……!

特選 パリッとバゲット賞

留守電を機種変更で失ってついにあなたは記憶のひとだ/小石岡なつ海

ダントツで好きな一首でした。
三十一音のなかに収められたストーリー性、下の句のなんともいえない情感に胸を打たれる、何度も読み返したくなる歌。

留守電をあまり使うことがないのですが、よく考えると人の声をそのまま保存しつづけるというすごい機能ですよね。
「あなた」とはもう会わなくなっていて(ひょっとすると故人なのかも)、留守電に残された声だけが唯一、主体と「あなた」を繋ぎとめていたもの。「もしもし」の短い呼びかけだったかもしれないし、「またあとでかけるね」で終わっているかもしれない。それが、機種変更をした途端にすべて消えてしまった。もう声を聞くことはできないから、主体にとっては「記憶のひと」となったという情景が、「ついに」によってより切なさを増します。

ひとがひとを記憶するとき、「声」をいちばん最初に忘れてしまう、というのをどこかのなにかで読んだことがあります。
おそらく主体はこれからも「あなた」を忘れまいと誓うのですが、いずれ声の記憶からなくなってしまうと思うと、なんだか泣きそうです。

(賞の名前と短歌とにまったく関連性がないと怒られそうですが、そのとおりです。仕事しない部長の肩書みたいなものです。最後までずっとそうです。)

並選 ふわもち食パン賞

暖房をはじめて入れる都合よく今日は結婚していたかった/高田月光

暖房、もういれましたか?
寒くなってくると、仕事から帰ってきて足を踏み入れる部屋が暖かいだけで救われる気持ちになります。
主体はこの冬、はじめて暖房のスイッチを入れたのでしょう。部屋全体があたたまるまでにはどうしても時間がかかるので、冷たい空気のなかでひとり過ごしている。
仮に、自分が結婚していてパートナーがいたら。人肌のぬくもりもあるだろうし、運よく結婚相手が先に家にいて、暖房を入れておいてくれたりするのかも。

普段は結婚なんて考えていないけれど、暖房が欲しいほどに寒い日はなんだかとても孤独で、今だけは人恋しい気がする。だから「都合よく今日は結婚していたかった」、下の句への展開が飾らない、心地よさを感じる一首でした。
これがきっと「冷房」だったら、この歌の良さはここまで発揮されないように思います。「暖房」だから良い……!

佳作 むぎゅっとベーグル賞(4首)

地下鉄でカフェでお風呂で玄関で指を折り出す病気にかかる/もくめ

テーマ「短歌」で詠まれたときのものでしょうか。いわゆる職業病、ならぬ趣味病ですね。
四六時中、短歌のことを考えているんだな、というのが素直に伝わってくるところと、生活に密着したシーンの選び方がとても共感できて良いなと思いました。初句から三句までの畳みかけるようなリズムが楽しい。
まさに「病気にかかる」ところを詠んでいるので、短歌を始めたばかりで毎日指折り指折り、頑張っている最中なのかな。
テーマがわかっていなくても、上の句から下の句への開き方に臨場感があって良いな、と思いました。


糸蜻蛉は「青空を好きになれなくて電車に乗ったんだ」と言うのです/えふぇ

まるで物語の一節のような、語り出す歌の調子に惹かれました。
糸蜻蛉って、とても細いからだで、全体的に透明で、そこにきれいな薄青い線がひとすじ入っていて、印象的な見た目をしていますよね。Switchのあつ森でさいきんよく捕まえるのでわかります。
同族嫌悪とでもいうのでしょうか。この糸蜻蛉さんは、青空の青と、自分のからだの青が似ていることを知っていて、どちらとも好きになれないのかなと思いました。
そんな糸蜻蛉とこれから一緒に電車に乗って、主体はどこへゆくのでしょう。「と言うのです」から醸し出される主体のやさしげな語り口、なにやら素敵なおはなしの続きがありそうな終わらせ方が大変効いていると感じます。


ちょっとだけ貸してと言って借りたまま返し忘れた口癖がある/久保 ハジメ

口癖って貸すものなのだろうか。借りるときに貸して、っておことわりを入れるものなのだろうか。などと考えているうちに、その若干の非現実性もひっくるめてこの歌が頭から離れなくなりました。
学生時代かどこかで、なんだかいいな、と思った友人の口癖を主体はずっと借りて使っていた。返すタイミングを逃しつづけて、もうその人とは会うことがなくそのまま。
どんな口癖なんだろうとか、口癖の貸し借りをする仲の深さってどういうものなんだろうとか、いろいろと想像がふくらみます。
既に「癖」になっているから、やめることはできなさそうです。無意識に声に出す瞬間、相手と一体化するような錯覚を覚えながら、主体はこれからもずっと、そのたびに借りた相手を思い出すのでしょう。


よるの蜘蛛とわかっていても愛でているあの日つぶしておけばよかった/奈瑠太

朝蜘蛛は殺すな、夜蜘蛛は殺せという言い伝えがあります。
さてこの歌の「蜘蛛」はほんとうに蜘蛛なのでしょうか。関係をもった人間の比喩として読むと、この歌の世界がずぶりと濃密に変化するように思います。
ある夜に出会ってしまった誰か。関係はその一夜きりで終わらせるべきだった。蜘蛛にたとえられた相手の妖しさや、繋がりを持ちつづけることの危険性は頭ではわかっているけれど、やっぱり手離すことはできない。
「つぶしておけばよかった」の残酷な響きと、それはもうできないのだという主体の諦めが余韻を残す一首です。
上の句の文字のひらき方、官能的な表現が一層、歌の味を深めているように思いました。


自由詠部門

特選、並選、佳作をそれぞれ1首ずつ選びました。

特選 もりもりサンドイッチ賞

鯛焼きをふたつに割って魂の入ってそうなほうを差し出す/哲々

魂の入ってそうなほうって、どっちだろう? 石村的には頭側かと思ったのですが、頭側としっぽ側できれいに割れるともかぎらない。仮に真ん中あたりで中途半端にちぎれてしまった場合は、ちょっと突起のあるほうが魂入りだったりして……といろいろ想像してしまいます。

食べ物をふたつに割って分けるシーンはさまざまで、鯛焼きを分けることを詠んだ歌はこれまでにも出てきたかもしれません。
ただこの歌のミソならぬ餡は「魂の入ってそうなほう」。有無を言わさず相手にあげるところが、主体のやさしさでしょうか。あるいは、「魂入り」というちょっと手ごわいほうを自分では食べないことを選択しているから、若干のうしろめたさもあったりするのかな。
この鯛焼きはきっと、親密な関係性の人に差し出しているのだろうと思います。つぶあんかなあ。

並選 とろ~りクリームパン賞

泡ハンドソープのような優しさであなたの思う壷でもいいや/未知

「あなた」に入れ込んでしまっていることが率直にわかる歌です。
うちではビオレ泡ハンドソープを使っていますが(心底どうでもいい)、むわむわっと出てきてくれた泡は、手を洗ううちにあっという間に消えてしまいます。やさしい手触りだけど、そこに永続性や確かさみたいなものはない。きっと「あなた」が主体に注いでくれる優しさも、ほんとうに中身のあるものなのかはわからないのでしょう。

下の句のやや投げやりな終わり方に、「あなた」のあやうさと、それを許してしまっているどうしようもない自分自身の投影も見えてきます。
「思う壺」はもちろん慣用句ですが、「壺」ということばから、ハンドソープの小さな容器と、包み込むときの手のかたちも想起されるような気がして良いな、と思いました。

佳作 じゅわっとバターロール賞

「泣きたい」と書けば赤字で直されて歌の中でも素直に泣けぬ/くらたか湖春

そうだよな……と染みた一首。
短歌の添削をしてもらって、返ってきたのは「泣きたい」の表現を修正された歌。
日常生活ではけっこう頑張っていて、ほんとうは泣きたいのに我慢してばかり。だからせめて自分の創作の世界、短歌の中では思いをストレートに吐露したい。それで「泣きたい」と入れた歌を送ったら、表現が率直すぎるじゃなんじゃ言われて、「雨ふりしきる」とかに直される(適当です)。
大声で泣くとスッキリするのはわかっているけど、簡単に泣けたら苦労しないんだよ。主体さん、いつか素直に泣ける日が来てほしいです。

個人的に、俳句を添削してもらうと、わりかし納得がいくケースが多いのですが、短歌だと音数が長いからなのか、どうしても自分の感情の乗りとかが崩されるような気がして、添削がすっと入ってこないこともあります。俳句は、季語の必然性や取り合わせの適切性が……といろいろ考えると長くなるので中断!


テーマ詠「夢」部門

特選、並選、佳作をそれぞれ1首ずつ選びました。
「夢」ということばが既にもっている詩情というかイメージの強さが、類想を呼びやすかったのかなという印象を受けました。
どこかで見たような景ではなく、名詞をうまく使っているものや、ほかにはない発想がとりこまれた歌に惹かれました。

特選 たっぷりカレーパン賞

iPhoneでくじらを飼っている今日はかなしい夢をみているみたい/高田月光

「夢をみる」という表現はよく見られますが、上の句から下の句への流れに意外性がありながらも共感を呼び起こす、うつくしい歌。
石村のスマホはandroidなので、iPhoneの機能はわからないのですが、アプリなどで魚を飼うことができるのでしょうか? ポケモンスリープみたいな。ポケモンスリープやったことないですが。

くじらって、いちばん大きい哺乳類ですが、あの大きさゆえの孤独感みたいものがあるような気がしませんか。イラストに描かれるものは、噴水がぴゅっと出たりしてかわいいのが多いけれど、さみしい生き物なのかもしれない。海のなかを悠々と泳ぎつつも、自分より小さいいのちはきっと見たことはないんだろうな。なんなら気を抜いたら稚魚なんてぺろりといってしまう大きさですよね。

全体として、海のなかの揺らめく景色と、夢という空間のあいまいさが響き合うように感じました。「飼っている」「みている」「みたい」の音同士の親和性も効いていると思います。
主体のかなしい夜(とは書かれていないが、夜だとおもう)がすっと収められた、余韻のある一首でした。

並選 ざくざくメロンパン賞

お前には夢の一つもないのかと入道雲の姿で父は/梅鶏

「入道雲の姿で父は」にやられました。
常套句っぽい上の句はいかにも父が言っているような口調なのですが、下の句への展開が純粋に好きです。
もくもくと立ち上がる夏の雲代表、入道雲。ひとめみて「あ、入道雲だ」ってわかるくらい、もりもりで厚くて影のある雲ですよね。なんならわざわざ「あ、」と口に出すのって、入道雲と鱗雲と飛行機雲くらいじゃないでしょうか(ほんまか?)
その存在感、威圧感、若干の暑苦しさ、「お前には夢の一つもないのか!」とのたまう父が見える見える……!
いちばん最後に「父は」とくるのもまた、父の存在感をずっしりと強調させていると思いました。

ありきたりな表現を使わずに、はっきりと情景が浮かぶ歌って簡単なようで難しいと思います。
この歌を選んだあとに作者が梅鶏さんとわかり、納得しました。次席短歌連絡会で採らせていただいたことがあるのですが、やっぱりすごい!と勝手に感じたのでした。

佳作 こんがりプレッツェル賞

かねもちになりたいっていう言い方がいかにも夢でフライドポテト/史

作者様から以下コメントをいただいています。
「ハンバーガー屋でポテトをつまみながら、高校生は言いがちです。なんとなく。」
歌を一読して浮かび上がってきた景のとおりで、わかりやすい歌です。そのぶん、景そのものはもしかしたら詠まれがちかもしれないけれど、最後の「フライドポテト」で種明かしがされるような、この終わらせ方が良いなと思って選びました。

マクドナルドで、シェイクのSサイズ片手に、あの細くてカリカリでたまにしなしなのが入っているフライドポテトを友達と分け合いながら。かねもちになりたい、わかる。

作中主体もきっとフライドポテトを近くでつまみながら会話を聞いているのかなと思います。「いかにも夢だな……」と俯瞰しつつも、そんな夢を純粋に語れることへのうらやましさもちょっぴり感じちゃう。家に帰ってビールでも飲もう。

おわりに

ごちそうさまでした。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。わりと自由奔放に書いてしまいましたが、楽しかったです。
石村まいは文章を書くのがとても好きです。お仕事のご依頼などがありましたら気軽にご連絡くださいませ。


おまけ

その①
各賞に冠したパンの魅力をついでに語っていいよという受賞者の方は、本記事紹介の石村のツイートにリプライをお願いします。とっても喜びます。

その②
武田ひかさんと『囁き記』という本を作りました。
2023/11/11の東京文学フリマにお誘いいただき、人生で初めて一から作った本です。
ひかさんが試し読みページを作ってくださいましたので、どうぞお寄りください。通販のリンクもあります。


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