亡くなるということ。

初めての記事だから自己紹介かと思ったけど、書きたいと思ったことを綴る。

今月祖母が亡くなった。大好きな大好きな祖母。88歳だった。

小学生の頃、兄と二人でドキドキしながら新幹線に乗って九州に行った。毎年夏休みの1か月、16年前に他界した祖父と祖母の家で過ごすためだ。

直近3年間は寝たきりの状態だった祖母。すっごく体力のある祖母だったのだが痴呆は祖父が亡くなった16年前から始まった。

体は丈夫だったのに、3年前の骨折をきっかけにどんどん衰弱してしまい寝たきりになった。

2月末、母から「おばあちゃんもう食べ物が食べられなくなった」と連絡があった。

覚悟ができた。でも、「何とか生きているうちに一度は会いたい」と思い、すでにコロナの影響が騒がれているころだったので、家族は連れず、私一人で飛行機に乗り東京から九州へ向かった。外せないイベントがあったので、仕事終わりに直行、到着は23時頃だった。

翌朝祖母に会いに施設に行った。母曰く「ほぼ寝てるから起きないかも、昨日妹(私の叔母)が大阪から来ても起きなかったから」とのことだったが、

声をかけるとなんと起きた!!しかもちょっと笑っているようにも感じたし、反応を感じた。

みんなびっくりしていた。母から「おばあちゃんにとってあなたとお兄ちゃんは本当に自慢の孫だからね」と言われ泣ける。

食べられないといっても頑張って食べられるときもあるらしい。少しだけ安心した。子供たちのこともあるのでその後すぐ東京に戻った。

そこからちょうど2週間、母からメール「おばあさんなくなりました。」

びっくりした。わかっていたのに本当にびっくりした。冷静に葬儀の時間などを確認した。夫に子供たちの寝かしつけをしてもらい、その後一人でぼーっとした。

走馬燈のように祖母との楽しい思い出がよみがえってきた。

「蚊帳を張って一緒に寝たな~」

「一緒に遊園地にいったな~」

「川に行ったな~」

「毎朝いつもあったかいタオルで顔を拭いてくれたな~」

「畑仕事するときになぜか金属の丸い入れ物にいれた蚊取り線香の上からストッキングを巻いて腰にぶら下げていたな~」

「お酒大好きで人が大好きで楽しそうに飲んでたな~」

子供のころの夏の思い出は祖父母との楽しい夏休みのことばかりだ。

夜寝る前よくお話をしてくれた。

「戦争中は竹やりをもって空に向かって投げる練習をしていた」

「米軍さんにチョコレートをもらった」

とか、

「おじいちゃんに熱烈ひとめぼれして猛アタックした」

とか。

戦争を生き抜いて、おばあちゃんがおじいちゃんに猛アタックしていなかったら私はいない。本当にありがたいことだ。今思っても泣けてくる。

祖母の生きた88年間、第二次世界戦争、高度成長、バブル、湾岸戦争、ソ連崩壊、震災、今回のコロナウィルス等など、教科書の歴史みたいなことが次々と起こったんだなと思った。祖母の88年間のまだ折り返しには来ていないけど、3分の1以上の期間は生きている。私の生きてきた38年間でも世界情勢はめちゃめちゃ変わった。中学くらいのころ母から「世界地図はどんどん変わるからね」と言われて意味がよく分からなかったけど、本当にその通りだと実感する。

そんな88年間の年月のすごさや、そんな中で祖母が生きて祖父に猛アタックしてくれた奇跡に感謝し、祖母との思い出にふけながら、その夜たくさん泣いた。(つづく)




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