見出し画像

【不思議な出来事:1】とりあえず気になる所から調べてみる事にする

まずは

実家のお墓を継ぐ気も無ければ、親も継いで欲しいとは言って来た事はない、親から継いで欲しいと言われた記憶も無い私に対して「お墓を継いでほしい」の意味とは。

①実家のお墓の事ではない
②どこかにある誰かのお墓の事だとしたら誰なのか

と1人、頭の中でぐるぐると考えていたのですが何も浮かびません。
どうしたら何かに辿り着けるのか全くわからないので友人(理解ある人)に相談してみました。

「お墓を継ぐ=弔ってほしい」という可能性は?

と、私では思い浮かばなかったアドバイスをもらえました。私は「忘れられている」または「忘れないでほしい」と思っている誰かがいると解釈しました。
が、弔ってほしいと願っているのは誰なのかわかりません。
そして気になる時代は相変わらず「平安時代」です。

とりあえず気になる事を調べてみた

とりあえずネットで清和源氏(松本藩主の繋がり)、源義経(子供の頃、牛若丸の物語が好きだったような記憶がある)、源頼朝(義経の兄弟で有名)を調べてみました。
が、この頃は名前に親の字が1文字入る名前の付け方をしています。
パッと見、漢字3文字なのに1文字しか変わらないので系図を見ても誰が誰だか、見れば見るほど頭が痛くなって来ます。漢字も見間違えるし、読み方もカナがないと合っているのかわかりません。
とりあえず義経と頼朝に繋がる人の名前だけ、なんとなく覚えてみようと思って字面だけ、本当になんとなく覚えてみました(似た漢字ばかりで目も頭も疲れてきて読み方まで覚える気力は出てきませんでした)。

その途中で気になったのが「鬼の腕を切ったと言われる渡辺綱」です。昔、ホラー系のマンガが好きな友だちに「鬼切丸(作者:楠桂)」を「これ面白いよ!」と借りて読んだ事を思い出しました(私はホラー系マンガは苦手ですが、さらっと読めました)。
この時点で私は審神者として某ゲームを楽しんでいるので「髭切」を思い浮かべました。
※某ゲームを始めるきっかけも、この不思議な出来事が関連しているのですが、こちらについては別の機会に書こうと思います。
ただ、渡辺綱は嵯峨源氏の流れのため刀繋がりのエピソードだけになりそうなので綱さんは一旦ここで終了します。

源義経は「奥州平泉から蝦夷へ逃げ延びた説」が昔から頭から離れないので、平泉から蝦夷へ逃げたルートがあるのか調べてみたところ出てきました。気にはなりましたが当然、山の中です。運動不足すぎる身体には色々な危険がいっぱいです。。。
また北海道にもロシアにも義経の軌跡があるようです。行ってみたい気持ちと体力との兼ね合いがうまく行けば!
行けると良いな、というところです。

後は、静御前とその子供でしょうか。「弔ってほしい説」で行くなら女性や子供である可能性も捨てられません。
が、この頃の女性や幼くして亡くなった子供を調べるのは難しいです。きちんと弔われている人と、そうでない人の差も大きいですし、そもそも現代に名前が残っている時点で弔われている可能性(存在を忘れられていない可能性)が高いので。
義経と静御前の子供と考えるなら「GoToトラベルが再開されたら、とりあえず奥州平泉へ行ってみようかな。中尊寺金色堂も観たいし。」と思っていました。(2020年12月頃です)。
しかし、その後また東北で震度6を記録する地震が起きました。
調べものとは言え観光に変わりはないので「行くタイミングは今ではない」と思い、機会があったら(確実にCOVID-19の影響が少なくなってから)行きたいと思っています。
被災地の方々には無理せず、頑張りすぎずに過ごせる時間が早く戻ります様、願っています。

また、薄緑(膝丸)を持っていた様です。
ゲームの中で兄弟刀と呼ばれているのは義経と頼朝に因んでいるのかも知れませんね(解釈は個々あるかと思います。私は「この2人が持っていた所から来ている」と思っています)。

源頼朝は、とりあえず髭切を持ってたみたいですね。
そして強かったみたいですね。。。
頼朝の周辺人物を調べてもピンと来ません。
そして覚えられない、と言うか記憶に残りません。
なので頼朝は一旦、終了します。

木曽義仲(源義仲)
調べている途中に、ふと「木曽義仲って誰だっけ?」と思って改めて調べてみたら「源義仲」と出てくるではありませんか!
系図を見たら頼朝、義経にも近いところにいるし、巴御前が出てきました。
「巴は舞など舞えぬでも良い!」と言う台詞が頭に浮かんだのですが何で読んだのか思い出せずにいると「うしおととら外伝 雷の舞(作者:藤田和日郎)」に出ているようです。読んだ記憶あります!
義仲との最後に甲冑を外して馬で駆けていくシーンが今でも頭に残っています。

で、その後らしきエピソードが出てきました。どうやら滋賀県にお墓があるようです。しかも2人一緒に弔われているようです。行けない距離ではないので行ってみようとは思っていますが、ちゃんと弔われている事にはなると思うので。。。違うかも?

行ってみたい(気になる)と思う所を調べてみた

調べていく中や京都好きの友人知人と話した中で気になった所がいくつかあります。

鞍馬寺
義経が小さい頃に預けられたと言われるお寺です。
貴船神社から鞍馬寺を行き来できるハイキングコースがある事を教えてもらいました。
教えてくれたお姉さんは2020年夏に家族で歩いてきたそうです。。。
「暑かったけど熱中症も大丈夫だったし、思ったより歩いてる人いたよ^ ^」と言ってました。。。たまに誰かとすれ違う程度だとは言っていましたが元気なお姉さんです。
お姉さんは車を駐車場に置いて、ぐるっとまわって来たと教えてくれました(どちらから回ったのか聞いたのですが忘れてしまいました)。

とりあえず、ハイキングコースを確認し、車で行くならどの辺りに停めるか、どっちからのルートが良さげか、体力的に行けるのか。。。
鞍馬寺だけ行ったとしても、かなり歩き回る事にはなりそうなので体力作りが進んでからになりそうです。

吉野山の桜
昔から気になっています。一度で良いから行って、この目で見てみたいと思っています。
ところが「桜のシーズンは車で行けるところが限られているため2時間くらい歩く必要がある」と聞き、体力のない私は悩みました。
悩んでいるうちにコロナ禍に入ってしまいましたが、桜の時期でなければ車で行けるなら桜以外のスポットを調べて行ってみるのも良さそうな気がしています。
けど、やっぱり桜の時期も行きたいです。。。

坂下神社(岐阜県中津川市坂下。旧坂下町)
木曽義仲繋がりで出てきました。
義仲が戦へ出る前に勝利祈願をしていたらしいです。
行ってみようと思った頃に中津川市加子母出身の知人に「下道で行く場合、中津川市に入るまでにかかるざっくりした時間」を聞いた際に、ついでに「小さい頃に木曽義仲や源氏について祖父母から何か聞いたことないか」訪ねたところ「昔、祖父から頼朝と一緒に戦に出たことがある話を聞いた覚えがある」と教えてくれました。
調べてみたら、その知人の名字の人物は確かに出てきました。推測ですが、頼朝と一緒に戦に出た一部が義仲に付いてきて加子母に根を下ろしたのではないかと思われます。

が、加子母から坂下へ行くことはほぼ無いそうで神社の名前は「聞いたこと無いです」とのこと。
確かに中津川市の中心地ならまだしも平成の大合併で町や村が市に合併しただけなので、特別な用事がなければ行くことも無いのはわかります。

地図上で見てみると坂下神社から川を渡ると、すぐ長野県です。。。馬籠宿妻籠宿へ行った事を思い出しましたが調べている中ではそこまで興味はでません(雰囲気も良いですし空気も美味しいですが、この調べものでは関係なさそうです)。
そう言えば、コロナ禍前のさらに数年前の事ですが友人と車で行った際に馬籠から妻籠間を歩いている数人の外国人グループを何組か見かけました。道路の途中から出てくるので一体どんなところを歩いているのか、そちらの方が気になった記憶が強く残っています。

木曽義仲資料館
長野県にあるようです。坂下神社へ寄ってから行けなくはなさそうです。
せっかく行くなら寺社仏閣も含めて、いろいろと回ってみたいと思いましたが日帰りできるのか不安になってきたので、しっかり調べて行きたいところを決めてからにしようと思ってます。

多田神社
没後1000年の源頼光が関係してます。
鬼切丸を展示中です。天光丸との同時展示が始まるようです。
行ったら何かありそうな気がします。また何か口走るのか、展示されているものに感動するのか、食に走るのか。。。

ここは、この期間中に行く意味はあると思うのですがコロナ次第にはなりそうです。
刀をもらう夢を見た後に「多田神社で鬼切丸を展示します」なんて聞いたら行かない選択肢はない気がします。
行きたい!


ひとまず今はこの辺で
一気に文字にしたからかも知れませんが頭がいっぱいです。
気になる所は実際に行けるところばかりなのですが、もし私が親元(旧東国)にいたらコロナ関係なく気軽に行けない所ばかりでもあります。
今は旧美濃国在住なので車での日帰りが可能です。
その辺り(なぜ私は美濃国に来たのか)も何かありそうな気がしてきています。。。

ちなみに、ここにはざっくりとまとめていますが実際はもっと細かく調べ、その中から選んで書いています。
そして何か出てきたら、また書いていきます。
(2021年4月末時点ではここまでです)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?