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ことばのちから

随分とご無沙汰しておりました。20年ぶりでしょうか。あの時のわたしはまだ幼くて、少し大人になってからあなたがすごい人なのだと知りました。あなたをTVやCMでお見かけする度に、誇らしい反面、どこか遠くへ行ってしまったような気がしていたのですが、今日は改めて、あなたが冷静で頭が良く、愛に溢れて、近くて遠い存在なのだと実感しました。

先日、谷川俊太郎展を訪れた。

わたしが「詩」と関わった時間は短い。淡いパステルカラーとイラストが表紙の横長の本。小学1年生から3年生まで教材として配られていたその本が、わたしと「詩」を繋げた唯一の時間だった。その本の中に谷川俊太郎さんはいた。

あの頃世界は狭くて、だからこそ身近で、谷川さんはわたしにとって親戚のおじさんみたいだった。(ありえないし、失礼極まりない話だが)でも、それってわたしだけだろうか。同世代でそういう人結構いる気がする。まぁ、何にしろ、谷川さんはわたしにとってそういう存在で、谷川さんの詩をちゃんと読むのは20年ぶりのことだった。

正直に言うと、少し不安だった。わたしは文章を読んで、頭で理解して、心が感情を持つまでに時間が掛かる。音楽は歌詞をほとんど聴かないし、本を読むのは得意ではない。子供の時の純粋な気持ちはどこかにいってしまったし、詩を観て何も感じなかったらどうしよう、と思っていた。

なのに、どうだろう。谷川さんのことばは頭を通さず、直接わたしの中に入ってきた。意味を理解するという作業を飛び越えてくるのだ。圧倒的なことばの力に感情を揺さぶられて、わたしはなぜか、最初から最後まで泣きたいのを堪えながら展示を観て回ることになった。

谷川さんはことばを信じているようで、信じていなくて、でもやっぱり信じている。だからこそ、谷川さんのことばには力があって、投げやりで、愛を感じる。それらは優しくて、誰も攻撃しない。「ことば」というただの文字や記号は、使う人によってまったく違う姿やかたちになるのだと知った。

結局、何が言いたいかと言うと、心が縦に横に揺さぶられて、何日経っても整理できなかったから文章にしてみたのだけど、結局まとまらないのでもう1回観に行ってみようってこと。それから、書いてみてはっきりしたけど、「ことば」は使う人によってどうしようもないムダにもなる、ってこと。とほほ。

#エッセイ #ひとりごと

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