見出し画像

【覚醒=自分を知り受け入れると言うこと】1000%の自己開示をしてみる(前半)

講座の中で様々なイベントが立てられるのだけど、
その中の1つ、「マツミホの不安解消!覚醒のために絶対必要なこと講座」のアーカイブ動画を見た。

その中で大切だと語られてたことは諸々あるものの、一番推されていたのは1000%の自己開示!

なので自己紹介のノートと一部かぶるけど、恥を捨ててこのタイミングで自己開示をしてみようと思う。

実際学んでも実行出来る人は3%。自己開示はあさぎさんの言うパンツを脱ぐというやつ。就業時間は迫っているが思いつく限り書いてみよう。ドキドキ。

どんな経験をしているかな〜。
小さい時から思い返してみる。
※自分用なので全然まとまりない文章で鬼のように長いです…!そして性格悪いなーと思う箇所も多々。しょうがない…!これが私だと開き直ってみる。

幼稚園時代

ほぼほぼ記憶がないので絞り出してみる。
幼稚園時代はさらっといこう。

✔︎褒められるのが大好き
✔︎家族とおじいちゃんおばあちゃんとおばさん(母の妹)が大好き
✔︎運動会の徒競走ではカメラに向かって手を振って走るのが遅いタイプ
✔︎手先が器用
✔︎折り紙やあやとりが得意
✔︎人の面倒を見るのが大好き
✔︎責任感強い

小学校時代

✔︎発言量多め
✔︎正しいことを突きつける優等生タイプ
✔︎わりと賢く歳の割にはいろんなことに気づく
✔︎特別扱いが多く調子に乗って人を見下しがち

どんな時でも主張強めだから、母親と友達家族と出かけた時に母親とママ友が話しているのに割り込んでいってひどく怒られた記憶がある。
その場で「ちょっと黙りなさい」と強めに怒られたのが割とトラウマ。大人が話してる時には空気読まなきゃいけないんだと学ぶ。

小学校は2回転校してるんだけど、大阪から千葉に転校した時にイントネーションの違いを突っ込まれてすごい恥ずかしくて、必死に直した。今思うと多分そこまで突っ込まれてないと思う。でも当時はみんなとの違いを指摘されるのがすごい恥ずかしくて嫌だった。それは今も同じ。

4年生の時に障害者の子がクラスにいたんだけど、多分見下してたと思う。何もしてないけど無駄に距離をとっていた気がする。

5年生の時は吹奏楽の地域のサークルに入って大人の中でチヤホヤされてすごす。チヤホヤされることが心地よく自分を特別だと思ってたし、小学校のクラブにも入ってたけど、そのメンバーは格下だと思ってた。現にソロパートとか吹くこともあったし目立つシーンが多かった。

5.6年は熱が出ても練習に行くくらいダンスとバレエにのめり込んでいた。誰よりもレッスンに行ってたから下のクラスにストレッチがてら参加してお姉さんと崇められたり、幼稚園生の発表会でお姉さんとして出たり、自分の発表会では誰よりも曲数を踊ったり、割と目立ってたし特別扱いの連続だった。

学校でも作文を選んでもらって市の特別賞をもらったり、どこかに絵が展示されたりもした。
小学校6年生の時には入学式で在校生代表でスピーチをした。国立受験をする同級生のお父さんがPTAとして列席してて、なんで私なのかと嫌味を言われて、
勝手に選ばれたのに意味がわからない。ただただ大人の都合でやりたくもないのに理不尽。この時から人前で話すのが品定めされているようで大嫌い。

転校を重ねてたのと、そんなに親友みたいな子がいたことがない。卒業式は全く泣かず。泣いてる子が理解できなくてすごい冷めた気持ちで泣いてる子をすかして観察しながら出席してた。

中学校時代

✔︎特別扱いは引き続きされがち
✔︎出た杭として大人にも打たれがち
✔︎人をはぶくことでちょっと自分が偉くなった気がしてた嫌なやつ
✔︎好きなことには全力投球

吹奏楽部に所属。小学校時代から楽器を吹いていたので入部後に学年リーダーに顧問の一存で指名される。兄弟がOBにいる子の親が幅をきかせていたため、なんで私がリーダーなのかと親にクレームが入る。当時はクレームについて私は知らなかった。

週7で部活に通い、午後練を早退して移動の車でお弁当を食べて習い事に向かう日々。しんどかったけど誰よりも忙しく誰にも負けないくらい頑張っている感が快感だった。

その後、部活では持ち前のリーダーシップを発揮するが周りがついて来ず。喧嘩をするたびに口が達者で頭の回転が早いから言い負かして泣かせてしまう。すると相手の親が連絡網で「うちの子が泣いて帰ってきた」と同級生の親子全員が召集をかけられ、うちの親がひたすらみんなの親に責められる。

私は口で戦ってたけど他の子はつねってきたりとか暴力もあり怪我をさせられていた。でももちろん相手は親に自分がしたことは言わないし、うちの親も「おたくのお子さんだって〜」的なことは言わなかった。それが自分としては「なんで他の親みたいに言い返してくれないんだ」ととっても悲しかったのは覚えてる。母曰く「子供が親に言ってないことなんてどの子も五万とある。全部知ったふりして言い返す方が恥ずかしい。」とのこと。今なら母の方が何枚も上手だったとわかる。この時の経験から「泣くとか最低。弱者のしょうもない手口だ。」という気持ちが芽生える。

ある日部活を体調不良で休んだ友達がいて、他の子と帰りにお見舞いに行った。その時に「悪化したら困るから無理しないで休んで」と言ったら「部活くるな」に変換されてしまい、また〇〇ちゃんがこんな酷いことを〜となってしまった。言い方ってとても大事なのだと学ぶ。

なんかよく分からないけどひょんなきっかけで部活の同級生一人をみんなでハブいていじめた。たしか何でも真似してくる子で友達が買ったものを翌日毎回買ってくる子だった。一定期間ハブいたり嫌味言ったりしたけどその期間が終わると話すようになった。多分その後部長にターゲットがうつったんだとおもう。私嫌なやつだったなーって思う。良くも悪くも人がついてきちゃう。

習い事で早退も多かったしゴタゴタもあったので、部活のリーダーを降りる宣言をして他の子をリーダーにした。次のリーダーは親がリーダー格で子供はリーダーっぽくはない子。私をつねったのに泣いて帰って親にちくった子。結果皆と合わなくて大事なコンクール前に部活に来なくなってしまった。顧問とその子の親にひたすら仲が良かった組みんなで責め立てられる日々。私が部長になった方が良かったんじゃない?と思った。適材適所ってあるんだなって学んだ。

成績は結構上位だったけど印象的におバカな子と思われていたらしく、顧問に推薦校を伝えたら「選ぶのは高校側だから」と嫌味を言われ、見てろよクソババァと心の中で思う。

進学先を決める時には部活の親たちや顧問をギャフンと言わせたくて偏差値だけで高校を選んだ。どんな高校か興味もなかったし、ほぼ落ちずに確実に合格という推薦の道を選んだ。
本当は宝塚(ダンスの先生が宝塚出身だった)を受けたかった。ただ落ちるのも怖くて、誰も受けてみる?とも言ってくれないから言い出せず。もし落ちたら高校受験は詰むし人生終わるからと言い聞かせて飲み込む。後日談でダンスの先生は母親に受けてみないのか持ちかけていたらしい。でも母親は私の意見を尊重というスタンスで私に伝えなかったとのこと。伝えてくれよ〜笑

結果落ちるわけがなく無事に高校に受かったら皆に「あの〇〇ちゃんが」と言われて、母親と二人でほら見た、あんなにごちゃごちゃいって幅聞かせてたのに結果私より高校下じゃんと皆を見下すことに快感を覚える。

高校時代

✔︎高校デビューするも全く可愛くない
✔︎恋に恋する女の子(盲目)
✔︎バレエとダンスをやめる

今まで友達と遊んだりきらきらしてこなかったので高校デビューで縮毛かけたり前髪作ったりアイプチしてみたりしてみる。だけど全然うまくいかなくて、みんな可愛いなーと思って過ごす。本当にひどすぎて写真ほぼ抹消した笑
プリクラですら可愛くないってどういうこと?笑

理系科目は大好き。だけど暗記の文系は大嫌い。勉強しても赤点地獄。学校の校則が厳しすぎて4回赤点で留年だったから毎年留年に怯えながら過ごす。

そして友達と渋谷とかに寄り道してクレープを食べたりする楽しさに目覚める。受験で一気に太ったのもあり昔のように踊れない自分に向き合うのがいやで、友達と遊ぶのも楽しくて、日に日にバレエとダンスから足が遠のく。連絡もせずに休むということが本当に後ろめたくて、余計に顔を出せなくなって、あんなにお世話になってた大好きな場所だったのに、フェイドアウトという形でやめることになった。あんなに一生懸命だったのに見当違いだったね、所詮その程度と先生たちに言われてるのではないかという妄想だけが大きくなっていった。

そんな状態で辞めたのに、高校でバレエをやってた子とかがいると、こんなにやってて忙しい日々だったという過去をひけらかしてマウントを取っていた。

恋愛では彼氏が欲しいのに彼氏ができない。好きな子は沢山いる。これは中学からだけど完璧な子はいないし、皆それぞれいいとこあるから皆好きって感じ。2週に1回ペースくらいで好きな子が変わる笑

入学してすぐに私が好きな男の子と仲良くしてた女の子に、「私が好きなの知ってるのに何で話すの?」って喧嘩をふっかける。やばいやつ笑
未だに本人に会うたびに持ち出されるから恥ずかしすぎて消えたくなる笑

塾は自分で選んだ個別指導の塾に毎日通っていた。授業がなくても自習室にこもっていた。私の成績アップを聞いて友達が入塾してきたんだけど、問題が解けなくて泣くということがあり、その時の先生の困った目が忘れられない。こんなことで泣くのはやっぱりやばいやつだと思われるんだなと認識。

進学は元々子供が好きで保育士とかになりたかった。でもなりたければ4大に行ってからその後資格を取りに学校に入るなりしろと父親に言われ断念。母親が学歴主義というか私のことを成果物だと思っている節があり、
・従姉妹は公立高校からまあ名前は知られている大学にいった
・他の従姉妹はまだ小学生だけど、向こう側の親族がみんな高学歴だから従姉妹がこの先に受験に失敗して、私の学歴が低ければこちらの血筋のせいだと言われる
等々のプレッシャーをかけられて行きたい気持ちは一切ないけど、不合格の心配がない推薦でそこそこ名前の売れた大学に受かる。宝塚もそうだけど受験が終わると、ママは本当にそんなところ行きたいのかなって思ってたよと言われる。勝手な勘違いだったのかなー。

大学時代

✔︎大学デビュー(実際はいまいち)
✔︎恋愛中心
✔︎過酷な学科でテストと課題に追われる日々

今度こそはと大学デビュー。母親にお願いして二重整形させてもらいアイプチを卒業する。今振り返ると芋くさいけど理系キャンパスだったから問題ないくらいにはモテていたと思う。

学科は一番留年率が高く、課題も毎週8個は出ていて夜までみんなで連日課題に取り組む毎日。本当にキャンパスライフとはなんだ?想像と違う。と思ったけど、自分で選んでるんだよねー…

就活はゼネコンを中心に受けていたけど、ふと高所恐怖症だったことに気づく。そんな時合説で今の会社に出会い、人事が美形揃いでキラキラ具合のハンパなさに惹かれる。なかなか倍率高い会社だったけど、「理由は分からないけど忘れられないんです。畑違いなのに惹かれるし、運命だと思う。」という告白で合格を勝ち取る。

恋愛周りは後半の恋愛編に記載予定。

社会人

✔︎有名なブラック企業
✔︎同期に負けじと頑張る
✔︎いかに短時間勤務で仕事をこなすかに全力を注ぐ
✔︎役員たちに気に入られる

入社前の合宿でやばい会社に入ったと気づく。2泊3日の合宿でひたすら「ありがとうございました・おはようございます・申し訳ございません」を1単語10回くらい息継ぎしていうという取り組みをさせられる。チーム戦で最終日には「ありがとうございます」で戦うと言われていたんだけど、意味がわからないし全くやる気が出ない。本気で取り組む人をすかして観察してた。

初日のチーム練習で同期の女の子に、「そんなんじゃ向こうの窓ガラス割れないよ!やる気あるの?」って言われて「どんなに叫んでも割れるわけないだろ」と心の中でツッコミまくりやばい集団に入ってしまったと認識する。

最終日には主将から順に「おはようございます」を言い、みんなは目を閉じて心に響いた方に手をあげるという対抗戦を行った。みんな泣きながら「あ"(お)〜〜あ"(は)〜〜あ"(よ)〜〜」と言った感じで14回くらい「あ"」と叫ぶ。文字数的にも「おはようございます」ではない。新卒60人超のみんなが泣くので泣かなくては負けると察して涙を出そうとするものの、俯瞰してみんなの「おはようございます」を分析してしまって涙が出ず敗北。最後帰宅前の外部の方との面談で「お前はこのままではダメだ」と言われ落ち込む。今考えたら相当やばいよね。人事も今となってはやばかったと笑っていうけど、こっちは生きた心地がしなかった。でもそれくらいのマインドセット(マインドコントロール)しないと覚醒できないのかな笑

配属後は初めての成績が同じ苗字の同期が1位で私が2位。上司に「この数字すごくない?あ。間違えた。もう一人の方だった。」って言われて、クソって思った。そんなボケ全然面白くない。

残業の多い部署だったから、独り立ち後はいかに文句を言われずに早く帰れるかを極める。フレックスタイムで勤務することを目標に高い生産性を叩き出す。誰よりも遅く出社し早く帰る日々に鼻高々でドヤってた。

想定外の産休・復職をする間に同期が昇格したりし始めて、自分は何をやっているんだろうと落ち込む。復職後馬車馬のように働き成果を出し、全社で表彰されるが、同期より出世してないし同情の表彰ではないのかと喜べない自分がいた。同情だとしても千人超える会社だからすごいはずだとは思うけどそれが認められなかった。

今はマネージャーとしてやりたくないなーという仕事に向き合う日々。基本パジャマに顔も洗わずベッドに寝っ転がり、通知オンで音が鳴ればパソコンに向かいそれ以外はネットサーフィン。ただそんな働き方をしていても片時も意識が仕事から離れられないのが本当に苦痛。仲良い後輩にサボってるって言っても、めっちゃレス早いし絶対そんな事ないって言ってもらえるのはラッキーかも。

長編すぎるので中編に続く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?