年を重ねて思うこと
私事ですが、先月 またひとつ年を重ねました。
そしてこれも私事ですが、色々と事情がありまして、片親です。
ずっと母親と暮らしていて、途中から父親とは疎遠です。
多分、わたしがこうゆう思いに至ったのはこういった家庭事情があったからかもしれませんので、一応記載しておきます。
さて、誕生日といえば
家族、友達、恋人だったり 美味しいものを食べたり、パーティーをしたり、一人で過ごしたり、社会人だったら普通にお仕事とか。
色んな過ごし方がありますよね。
わたしの思い出といえば・・・
小さな頃は、家族が誕生日に美味しい夕食、ケーキを用意してくれて、プレゼントも貰えてすごく楽しみでした。
学生時代になると誕生日付近の休みは友人達と集まってなんとなく騒いでみたり。プレゼントも貰えて。とにかく騒いでいた時代、こちらも楽しかったです。
そして社会人になって、誕生日が仕事の日だったらそんなこと関係なく働きますね。周囲の人が誕生日って気付いてくれたらすごく有難く感じました。
そして段々と自分の誕生日という日が薄れていくんですよね。
どうせ仕事だし、時間が合わなければ夕食とかケーキとか一人で食べるだけの日だし。
ケーキがない時もありました。
社会人になったらプレゼントとかもなかったですし。
非リア充のためキャッキャウフフとかなかったです。
そんなある日、思うようになりました。
誕生日ってそんなにわたしにとって大事なのか? と。
誕生日ってわたしにとって何の日? と。
そんな時にわたしの前にいたのは。
母親。
片親になってからもずっと近くで一緒にいてくれて、見守ってくれました。
でもわたしが気付くずっと前から、もっと前から、生まれた時から、お腹にいる時から、ずっとずっとわたしを見守り続けてくれました。
そんな当たり前の事実に気付いた時は、正直遅いな と自分でも思いました。
そんな当たり前のことに気付いたわたしは
あぁ 誕生日って生まれてきたことに感謝する日なんだな
お腹を痛めて産んでくれた母親に感謝する日なんだな
と、『自分の誕生日』とは何かという認識を改めることが出来ました。
それに気付いた時からわたしの親孝行が始まり、そして毎年誕生日を迎える度に『母親に感謝する日』に変わりました。
親孝行と言っても、イベントの時にプレゼントを渡したり、わたしと出掛けたときはわたしが支払いしたり。
生まれてから今まで散々わたしのために使ってくれたお金を少しでも返せればと思い、少しずつ 何か と 感謝 でお返ししています。
完全なる自己満足なんですけどね。
そして、わたしの誕生日の日。
『産んでくれてありがとう』
と、心の中で思っています。
心の中 なんです。
恥ずかしくて
何やらこっぱずかしくて
本人前にしては口には出せないでいます。
でもいつかは
ちゃんと
口に出して伝えようと思っています。
「産んでくれてありがとう。お母さんが産んでくれたからこうして年を重ねることができました。」
もちろん誕生日だけではなく、わたしが存在できるのは両親の存在あってこそ。それを忘れずに日々を過ごしていきたいと思います。
そして、これを読んだ方々が
ご両親の有難さに気付いて頂けたら
再認識して頂けたら と。
あぁ・・・
恥ずかしくても早く口に出して言わないとなぁ
あ、もちろん
こんなことを伝えるなんていうのも自己満足なんですけどね
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