エレベーターで

私はエレベーターに乗ると率先して開閉ボタンを押したり、目的階に着くと、乗り合わせの人たち全てが降りるまで待ち、最後に出るタイプである。

その姿はいささかエレベーターガールのようである。(いや、エレベーターおばさんか)階によっては、開くボタンを押していなくても、十分降りるための時間はある。だが私はわざわざ開くボタンを押す。何の意味があってそんなことしているのだろうと思う人もいるだろう。

私が思うに、エレベーターの中は、究極のインスタントコミュニティーである。たまたまその時間に居合わせた人が、狭い密室に閉じ込められ、否応なしに同じ時間を過ごさなければならない。

エレベーターおばさんの私が、これまで乗り合わせた何千という人の大多数は、所詮他人なので、相手にどう思われようが関係ないというスタンスの人である。目的階ボタンを押すと早々と奥に引っ込み、スマホを触る。比較的近くの階で降りるのに、わざわざ一番奥に乗り込むものだから、たくさんの人が一度降りなければならない。でもそんなことは、一日のほんの一瞬の出来事で、しかも全く知らない人達なんだから、なんてことないのである。というか端から一切意識していない。またある人は、とても急いでいるのか、誰かが降りた後すぐに閉まるボタンを5回ほど叩く。チッと舌打ちまで聞こえてくることさえある。他の乗り合わせている人にどう思われようと関係ない。だって他人なのだから。

なんというヒューマニティーなんだろうか。こんなに人間性を露呈する場所が他にあるだろうか。他者への心遣い。よく耳にする言葉だ。その本質は、エレベータの中で一番感じることが出来る。エレベーターの中の、人と人との間にあるものは、間違いなく個人の人間性だ。人間性があの狭い空間の中でひしめき合っている。だから濃い人がいると押しつぶされて、どっと疲れたりするのである。

私が率先してエレベーターおばさんになる理由。素でいることがめんどくさいのである。知らない人の前で人間性を露呈したくない。だから決まった行動を淡々と繰り返す。一人しか降りなくても、開けるボタンを押す。良い人と捉えられるか、偽善者と捉えられるか。どう思われようがそんなことどうでもいい。

だけれど、開くボタンを押して皆が降りるのを待っているのに、逆のサイドから開けるボタンを押し、「お先にどうぞ」とほほ笑んでくれる人がいたりする。

そういう人と出会えた日は、一日中気分がよかったりする。


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