インドでiPhoneを盗まれた
やっぱりインドはいろいろ起こる。
前回インドに来た時は腸チフスで入院したっけ。前回の腸チフスの時は高熱の中泣きながらそばのインド人に助けを求めたような気がするけど、今回も何度か泣いた。泣きすぎやな、私は
経緯など
5日前、ダラムサラ行きのバスに乗るため、アムリトサルのバススタンドにリキシャで向かった。
リキシャのおじちゃんが値段ふっかけてきたものだから、自分が妥当と思う金額だけ手に握らせてバイバイした。
アムリトサルからダラムサラへ行くには、パタンコートを経由する。ダラムサラへの直通便は早朝と夜にしかないようなので、1日に何本も出てるパタンコート行きに乗り込んだ。
バスで自分の荷物を、多少苦戦しながらも上の棚に置き、フーと腰かけてiPhoneを見ようとすると、後ろポケットに入れていたiPhoneが無い。
え?と立ち上がって全てのポケットやカバンの中を見たけど、やっぱり無い。
血の気が引いてきて、周りの乗客にも「my phone, , iPhone, ,」と文章にならずゾンビみたいに聞くと、
みんな「あらー」と残念そうな顔をするだけ。
ここにいてもしょうがないと、ふらつきながらも荷物を全て持ってバスが出発する前に降りた。
"iPhoneを探す''を試みる
どうしてないんだろう、どこかに落とした?でも落としたなら音で気づくはず…
通ってきた道を戻ったけどiPhoneは見当たらない。
そのとき、iPhoneには''iPhoneを探す''という機能があることを思い出した。
通行人のうち英語がわかりそうな若めの人、と見渡してすぐに目に入った3人組に声をかける。適当に声をかけたけど、とても親身になってくれた。
3人ともそれぞれスマホで検索して、iPhoneを無くした場合の探し方を調べてくれた。
探し出してくれた方法のとおり、iCloudにログインしてみる。すると、私のiPhoneはオフラインになっていた。
ただ落としただけなら、こんなに早く電源が落ちるわけないし、オフラインになるのは不自然。
これは、手慣れた輩に盗まれたのだな、とこの時思った。
同じiCloud上の画面で、無くしたiPhoneを紛失モードにする設定ができるのでひとまずそうする。すると3人組の1人の、自身もiPhoneユーザである人が、「これで誰も君の携帯を使えないはずだから、安心していいよ」と爽やかに言ってくれた。このとき、無くしてから初めて少しだけ笑うことができた。
「他に何か僕たちにできることはない?」と聞いてくれたけど、特に思い当たらなかったので感謝してさよならした。
それにしてもどの時に盗まれたんだろう。バススタンドまでのトゥクトゥクでは確かに持ってた。もしかしてトゥクトゥクの運転手が支払額に納得できなくて逆襲した?
でも1番可能性が高いと思うのはバスの中。荷物を上の棚に押し込んでいる時に、誰かが私のジーンズのポケットから抜き取ったんじゃないかと思う。
後ろポケットに入れてた私も悪い。
予想外にとても優しかったインドの警察
バススタンドのインフォメーションに聞くと、敷地内に警察があるとのこと。行ってみると、本当にすぐ近くに小さな交番があった。
行くと、英語を話せない警官ばかり。多少話せる若い兄ちゃん(警察とは思えない)がいたけどあまり噛み合わず、そんな時向こうはただニコニコするばかり。
意思疎通ははじめ大変だったけど、警官は私に自分の携帯を貸してくれ、その場で気が済むまで調べさせてくれた。ネットで検索すると電話番号でスマホの位置を調べられるようなアプリもあったので、ダウンロードさせてもらって調べてみた。
自分のインドの携帯番号を入れると、なんとムンバイと出た。いやいやいや。盗まれてから1時間くらいしか経ってないのにアムリトサルからムンバイに行ける訳はなかろう。
警官に、調べたけどわからなかったと伝えると、じゃあどうする?帰る?って感じでこちらを見てくる。え、書類とか言わないと作ってくれないのか。
私は警官のスマホの翻訳機能を使って、①私を携帯ショップに連れて行ってほしい②書類を作ってほしい と伝えた。
②の書類は旅行保険に使う用のものを想定して言った。警官なら何に使うものかすぐにわかってくれると思った。
はじめその翻訳された文を読んだ警官は「そんなもの作れないよ」というような反応をする。でも周りにいた他の2,3人が何か言ってくれて、結果作ってくれることになった。
英語が多少話せる近所の兄ちゃん風の人が、私に、「希望の書類はちゃんと作って君に渡すから大丈夫だよ」的なことを片言で言ってくれる。
続けて、「past is past. You are ok. No pkoblem 」(過去は過去。君は生きてるんだから、大丈夫だよ )
というようなことをしきりと言ってくれて、無くしてから初めて涙が出た。
その涙を手で拭ってくれる近所の兄ちゃん。
ちなみに私30代。なんかすみません。
書類を作る段階になって、私に英語を書くのは難しいと思われたようで、学校帰りの中学生みたいな女の子を呼び寄せた。その子は友達とこの後約束があるのか、電話をしながら少しめんどくさそうに警官の指示で私の書類を書く。
時間をかけてようやくできあかった書類を、読んでみてと警官が私に渡す。読んでみると、前半は私がスマホを無くしたことを書いているのだが、後半が「なので、私に携帯電話とSIMカードを見繕ってください」というような書きぶりになってる!
なんだこれは。
そこでハッとした。私が翻訳のときに①携帯ショップに連れてって と②書類が欲しい を並べて書いたものだから、携帯ショップで使う書類だと思われたのだ。
いやいや、携帯ショップにそれ見せて、携帯ショップはどうしてくれるの?安くしてくれるの?
そんなわけないから、その書類はとにかく不要。お嬢ちゃんにも申し訳ないけど。
お嬢ちゃんに「保険で使う書類が必要で、これではないのよ」と伝えると、お嬢ちゃんは''どうりで変だと思った'' 的な苦笑いをして、じゃ私友達と約束あるから行くわ、って感じで行ってしまった。
警官も、そういうことね〜頭ポリポリ って少しめんどくさそうにした後、じゃあここ乗って。ということでバイクに乗せられた。
どこへ行くのかと思ったら近くの大きな警察署だった。そういう書類はここでしか作れないのかな。
保険に必要な書類がほしいとここで伝えると、 決まった書式の紙が出てきて、いろいろとスムーズに済んで書類が完成した。
iPhoneのIMEI番号が分かれば何かのきっかけで見つかるかも、という話をされたけど、それが書いてあるiPhoneの箱は日本の家にあるから分からない、と答えた。
一瞬浮かんだ「帰国」
警察で書類をもらえた。さて、これからどうしようか。正直、インドで携帯買うとかしんどい。メーカーとかわからないし。
もう帰ろかな。最近少し疲れてたところだったし。一瞬そんな考えも浮かんだ。
けど、ここで帰ったら負けな気がする。私の謎の負けん気がここで出てきた。
何か少し悪いことが起こると、不吉だって言って行動を変える人がいるけど、悪いことなんて起きる時は起きる。
神様のお告げと捉えて行動する、というのは私もするけど、行動をやめるというのはあまり理解できない。
それに、これを解決できたら、次にスマホを無くしても、持ち金全て無くしても、今より動揺しない自分になれるだろう。
だから、帰るという選択肢は無しにした。
インドで携帯電話(スマホ)を買う
さて、そうとなったら携帯を買いに行きたいけど、今はトゥクトゥクに乗る気にはなれない(ひょっとしたらトゥクトゥクの運転手が盗んだ犯人かも、と思ったから)。
警官に「携帯ショップに連れてってくれないか」とお願いしてみた。そしたらあっさりok。
英語がほとんどわからない警官(推定年齢58)だから不安だけど。
で、バイクで連れてってくれるのかと思ったらなんと徒歩だった。
店に着くと、例の、初めに作った不要な書類(対携帯ショップ用)を携帯ショップの店員に見せつける警官。
携帯ショップの若いお姉ちゃん、見るからに困ってる。「だから何?」って顔してる。
予想通り、特にそれでディスカウントしてくれるでもなく、一通りおすすめなど聞いた。
1店目で決めるのは流石にこわいので、もう1店見ることに。警官、文句も言わず付いてきてくれる。なんか可愛く思えてきた。
2店目の方が店が大きく、1店目で見せてもらった機種のことを聞いてみると、その機種は古くて置いてないという。もうここで買おうと決めた。
何台か見て中古のRedmi12cというやつを8000ルピーで買った。日本円で16000円くらい? 色々な機種の値段聞いてて思ったけど、インドの携帯はあまり安くない。iPhoneはなんと日本の2倍くらいする。
ちなみに、ゆっくり選びたいので警官には途中で帰ってもらった。
お店の人は英語が流暢だったので通訳してもらって、忙しいだろうから戻っていいよと伝えると「should I go? (私は行くべきですか?)」(なぜかこの英文だけは完璧に言ってた)
と、少し寂しげだったのがまた可愛かった。
携帯ショップでは、携帯無くした私を気の毒と思ったのか、お姉さんが朝作ったというパラタと、チャイを振舞ってもらった。このパラタが複雑なスパイスの味がして、今まで食べたパラタの中で1番美味しかった。
ここで私の精神力がぐんと回復。
無事に携帯を買えて、少し勢いづいたので、近くのトゥクトゥクを拾って、SIMカードのためにエアテルストアへ向かった。
エアテルストアで事情を話すと、手数料50ルピー払うだけで、前と同じ番号のSIMカードを手に入れられた。しかも、リチャージした分のギガも全て戻ってきた(少し消費してたのに、消費前の状態になってた)。
けど、アクティベートは4時間後にする必要があるということで、今が16時だったので、夜20時くらいに使えるようになる。
(朝9時くらいに出かけたはずなのに、もう16時、、)
ふー。これで今すべきことは一通り済んだかな。保険に使うポリスレポートも手に入れたし、携帯買ってSIMの処理も終わった。
今日はパタンコート経由でダラムサラに行こうと思ってたけど、さすがに今からじゃ遅いよな。
、、、けど、ここで今日行くのやめて明日にしたら、犯人のせいで私の予定まで狂わされたことにならないか?
(また謎の負けん気が発動)
ということで、着けるかわからないけどひとまずダラムサラへ向かってみることに。
警官?のハグとキス
バスに乗る前に、警察に置いたままにしてた自分のカバンを取りにいく。
すると例の近所の兄ちゃん風の人が、まぁバスまで時間あるから水でも飲みなよ、と水を出してくれる。
けど急いで向かいたいので、もう行くわって少し水飲んだ後に席を立った。
するとその兄ちゃん風の人が「もう行くんだね」って言って結構しっかりめのハグをしてきて、なんと頬にキスまでしてきた。
少しびっくりしたけど、「じゃ」と言ってそそくさとその場を後にした。
あの兄ちゃん風の人、私服だし若いしなんか警官には見えないけど、ほぼ1日警察署にいたから、やっぱり警官なのかな。
警官だとしたらキスとかどうなの?
まぁ、深くは考えないでおこう、ここはインドだ。
夕方から深夜にかけて、アムリトサルからダラムサラへの移動
優しい姉妹との出会い
パタンコート行きのバスはすぐには出ないようだったので、その手前の町行きのバスに飛び乗る。
バスで優しげな姉妹と隣の席になる。お姉さんの方は2歳くらいの男の子を抱いていた。途中、バスの中に売り子が入ってきたとき、私が何かなと首を伸ばして見てると、その姉妹が「すごく辛いよ」という。辛いのは私は平気だけど、あまり美味しそうに見えなかったから、「そっか」といってその売り子を見送った。
その少しあと、姉妹が「作ったパラタがあるけど食べる?」と聞いてきた。既視感。
「ナイス。けどあなたたちで食べて」と言うと「私たちはもう食べたの」と言う。
正直かなりお腹が減ってたので、いただくことに。まさか1日に2度もお裾分けパラタされるとは。インド人ほんと優しいよ、、
姉妹とは、パタンコート行きのバスへの乗り換えも一緒にした。
乗り換えた先のバスはかなり混んでて、席が1つしかなく、私は子供を抱えたお姉さんに座ってもらいたくて席をすすめた。
しかしこの姉妹がすごい勢いであなたが座ってと私に席を譲ってくる。2人がかりだから断れなくて、ひとまず座った。お姉さんに子供を私が抱くからとジェスチャーしたけど、「いいから、いいから」と言われ、結局私1人着座。いたたまれない気持ちでいると、お姉さんの近くに座ってたおじさんがお姉さんに席を譲った。
インドではこういう場面を日常的に目にする。女性やお年寄りが乗ってきたときに男性や若い人がスっと席を譲るというのが自然に、当たり前のように行われる。
インド人って、本当に日本人が見習うべき…をたくさん持ってる。このことはまた後でまとめられたらいいと思う。
車内で姉妹が、私がダラムサラへ行こうとしてることをバスの添乗員に伝えてくれているようだった。何から何までありがとう。
その優しい姉妹はパタンコートからかなり手前のところで下車していった。
優しいおじさんとおばあさんとの出会い
周囲の乗客は私がダラムサラへ行くことを姉妹の話で知ったので、私の後ろの席のおじさんが心配して英語で声をかけてくれた。
この時間にダラムサラへ移動するのは危ないからパタンコートで1泊した方がいい、と。
「パタンコートの宿代はだいたいどのくらいですか」と私が聞くと、「1000ルピーくらいからある」という。最低の価格帯が1000て高すぎる。
でも確かに私も前日に宿泊予約サイトでパタンコートの宿情報を調べたら、どこも高かった。パタンコートはそういう土地柄なのだろうか。
「1000は高すぎる」と私が言うと、私の隣の席のおばあさんが何やらしきりに話し出した。後ろのおじさんが通訳してくれるに、お金がないなら私の家に泊まっていいよ、ということ。
願ったり叶ったりだと思い、私が「そうしたい」と伝えてくれるよう後ろのおじさんに言うと、おじさんは途端に渋そうな顔をする。
彼が言うに、「パンジャーブ地方の人は誰も信じない方がいい」ということ。
えー。おばあさんだよ?おばあさんに一体どんな悪いことができると言うのだろう。
見た感じ普通の人だし。
けど、ここまでおじさんにホテルのことなど親身に教えてもらってたから、その人の言うことを無下にもできない。
凄くもったいなかったし、おばあさんにも悪かったけど、「あなたがそういうならやめておくよ。彼女には、私はパンジャーブ語が話せないから彼女の家には泊まらないと伝えて」とおじさんに言った。
実際、おばあさんの話すことは何ひとつわからなかった。
本音を言えば、泊まるだけなら言葉なんてつうじなくても何とかなるだろうし、ホームステイができる貴重な機会で、逃すのが惜しかったけど、今回はおじさんの手前こうするしかなかった。
おじさんがおばあさんにそれを伝えるも、おばあさんも私は安全な人間だというようなことを主張し始めた。
しばらく、おじさんとおばあさんの攻防が続く。何言ってるかわからなかったけど、周りの乗客も何人かあーだこーだ言ってた。
7分くらい経って、ようやくおばあさんも諦めてくれたようで、とても残念そうな顔で私を見つめてきた。
「ありがとう」とヒンドゥー語でおばあさんに言うと、「あら、それって泊まるってこと?」的なことをパンジャーブ語で言い始めた。おっつ、、
後ろのおじさんが「そうじゃないから」と再度おばあさんを諌める。
なんだろう、このやりとりは、、、
とってもありがたいけど、私にとっては心底どちらでもいい。
おばあさんはパタンコートの少しだけ手前の所に家があるらしく、そこで降りていった。
最後も「本当にいいのね?」的なことをパンジャーブ語で言って、こちらを振り返りながら降りていった。
さようなら、普通に良い人だったかもしれないおばあさん。
ついにダラムサラへ到着(深夜1時)
バスがパタンコートに着くと、例の後ろの席のおじさんは私を連れて、近くの人にダラムサラ行きのバスのことを聞いてくれた。
すると、バスはあるにはあるらしく、おじさんは「君的に夜の移動が大丈夫なら、バスでダラムサラに行けるよ。ダラムサラにホテルをとってるの?」と聞いてきた。
とってると答えると、「ダラムサラからホテルの多い地域までは更に時間がかかるみたいだから、ホテルにピックアップをお願いできたらした方がいいよ。僕が電話してみるからホテルの電話番号を教えて」と。
正直、とったホテルは1泊150ルピーほどと格安である。それなのにピックアップを頼めるものだろうかと思いながら、おじさんに番号を伝える。
すると幸運にもホテルがピックアップしてくれることになり、ダラムサラに着くのは深夜1時くらいだが、その先のホテルまでの移動の心配が無くなった。
となれば、このままダラムサラへ移動しよう。おじさんは夜間の移動を心配してたけど、ピックアップの手配が付いたからか、それで納得してくれて、ダラムサラ行きのバス乗り場へ連れて行ってくれた。
10時くらいに、ここにダラムサラ行きのバスが来るから、その頃にこのチケットカウンターで切符を買って、バスの番号をホテルに伝えるんだよ、と丁寧に指示してくれた。
もう大丈夫、ありがとう、とおじさんに伝え、おじさんとお別れする。このおじさんも自分かダラムサラへ行くわけじゃないのに、なんて親切なんだろう。
本当に、インドではこういうことが多くて感動する。
そんなこんなで、色々な人の優しさがあって、無事にダラムサラに深夜1時頃に着いた。そこからさらにホテルのあるマクロードガンジという町までは30分くらいかかった。起こった出来事の数々を含め、長い1日だった。
やっぱり夜間の移動は危ないと思うので、次にこういうことがあったら大人しく翌日に変更しようと思う。
まぁしかし、何事もやってやれないことはない。
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