水玉模様の記憶の足跡

——記憶の足跡——

〜少女の記憶編〜

目が覚めた。

わたしはピンク色の天井を見つめる。

隙間がないようしっかりと閉め、テープまで何度も繰り返して貼った大きな窓から、灰色の空を漂う汚れた空気の塊が入ってきているような気がした。

−このまま消えてしまえばいいのに−

布団の近くに置いといたはずの「布」を取ろうとしたら、冷たく鋭いものに触れてしまい、切れた指から生暖かいものが流れているような気がした。

−そういえば、左腕、乾いているのかな−

天井から目を逸らし、剃刀の隣にある布の左右のゴムを両耳にかけて、布部分がちゃんと鼻と口を隠すようにサイズを調整する。

この世は灰色

汚れの世界

空気との戦争

布団から起き上がり、セラー服に着替える。

−そういえば、脱いでいなかったのよね−

パンは太るからって代わりにイチゴをかじりながら、机の上の画面に向かって、キーボードを叩き始めた。

「少女元年、初の授業です」

画面の中には、自分と同じ前髪ぱっつんの先生が水玉模様のドレスを身にまとって、黒板の前で言う。

−いつからこうなってしまったのだろう−

人間はもう街を歩かない。

わたしが生まれる前には、「オミセ」という物を直接買える場所があったらしいが、わたしが生まれた時には「物を買う」という行為はインターネットを通じて行うこととなっていた。

「タクハイ」をしてくれる人たちが毎日「空気」と戦いながら、物を運び、届けてくれる。

勿論、世界で最も危険な職業だから、「タクハイになりたい」という人はほとんどおらず、国が指名しなければならないこととなっている。

「空気」に飲まれてしまった人たちを治療する「イシャ」もいるのだが、数が非常に少なく、患者の数に追いついていないと、毎日テレビに社会問題として取り上げられている。

−だから、人間は街を歩かない−

わたしの世界は四角い箱の中

画面の中

同じことが詰まっている 毎日の中

増えていくのは腕の細長い傷だけ

−バンっという大きい音がした−

自分が揺れたかと思ったら、ピンクの天井も、ピンクの扉も、水玉先生のいる画面も揺れている。

無意識的にクロゼットに貼ってある、一人の少女が写っているシールに視線を向けた。

プリントされたアナタとわたし

−やっと会いに行けるかな−

気づいたら、ピンクの天井も扉も窓の床も歪んで、煙のように燃え始めては消える。

幻のように一つずつ消えていく。

でも、わたしはわかっている。

本当は一つも消えてなんかいないのだ。

アナタも、わたしも、鏡も、ビルも、クロゼットも、水玉の先生も、汚い空気も、あの日流した涙も、ライブハウスのフロアから見たキラキラなステージも、全部またプリントされたのだ。

更新された。

いや、今でも更新している。

過去も今も未来も、手にあるように、目に見えるように、耳で聞こえるに、更新しているのだ。

だから、わたしは怖くない。

更新されても過去も今も未来も残る。

アナタもキミもわたしもボクも、永遠に残るの。

「青春」になって。

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——記憶の足跡——

〜わたしの記憶編〜

赤い聖書の最後のページもめくった時、青春が更新された音がした。

25歳にもなって青春なんて言葉を使うなと遠くから声が聞こえてきそうだが、わたしの青春は赤い聖書の「神様」と共に更新しつづけている。

アーバンギャルドに出会ったのは、確か高校生が終わる頃。

異国での寂しい留学生活のお土産の一つは、孤独がくれたバンギャ生活。

日本の可愛い音楽に夢中になって、辿り着いたのは「さくらメメント」と「鬱くしい国」というアルバムだった。

当然、陰キャラ代表のわたしだから、一番の友達は人間ではなく音楽だった為、音楽に支えられた楽しい毎日が続いていた。

自分の性格が十分暗いせいか、明るい音楽ばかり耳にしていた時期で、さくらメメントに出会った時も「いい感じの明るい曲だ」と歌詞もうまく理解できないまま、再生ボタンを押し続けていた。

本格的のアーバンギャルドのファンとなったきっかけは、その次のアルバム「昭和九十年」収録の「シンジュク・モナムール」だった。

日本語能力が上がったのか、歌詞の意味が理解できるようになり、衝撃を受けた。

とてもとは言えないかもしれないが、少しポップロックなメジャーぽいキャッチなメロディーに、「少女は死ぬと決めたのさ」や「飛んでくるなお嬢さん」など、自殺防止ソングや!とハッとなってなぜかドキドキしたのを覚えている。

それまではかなり歌詞もメロディーも明るいものばかり聞いてきたから、中学生の頃に聞いた「人を死に致す」といろんな国にBANされたという曲と同じ、ゾッとするのとドキドキするという気持ちが混ざった感じがアーバンギャルドから感じた。そこからは遡りの祭り。

遡って昔のアーバンギャルドの楽曲を聞けば聞くほど、自分が経験したことがない病みの世界が見えてきた気がして、大好物のホラー映画を「音」という新しい手段で楽しんでいる気持ちになって、だんだん夢中になっていく。

自分が病んだ時期が全くないとはいえないし、むしろ、当時は自分もかなり病んでいる人生を歩んできたつもりだったが、文化の違いなのか、病んでいた時期でも、自傷行為や薬、または自殺などとかなり離れていた世界にいた。

消えたいと思ったことがあっても、大号泣しただけで終わった。

だからなのか、「少女は二度死ぬ」の「ファッションパンク」や「少女の証明」の「プロテストソング」を初めて聞いた時に、衝撃を受け、アーバンギャルドの世界に飲まれていく。

ということで、わたしとアーバンギャルドとの水玉自伝がそこで始まったわけだか、高校生が終わった時期という一般的に青春とは言えないギリギリのタイミングで、それに長く続いているアーバンギャルドのバンド歴の中でも比較的に新しい時代で出会ったので、とても微妙なタイミングでの出会いだった。

だけど、そのすべてがわたしにとっては青春だった。

思い返せば思い返すほど、懐かしく。

思い返せば思い返すほど、若くなっていく。

これから一生戻ってこないけれど、消えもしない。

ずっとわたしの中に残る「青春」

これがわたしとアーバンギャルドとの物語。

これからも更新され、新しくなっていくけれど、

赤い聖書、この無駄に長く所々変な日本語でギリギリ成り立っているこの文章、そして、文字になっていない記憶のどこかに散らばっている物語は、

きっと永遠に消えず、わたしとアナタだけのものとして存在し続けるだろう。


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